大島稲荷神社

江東区大島5-39-26 (平成23年6月19日)

東経139度50分23.42秒、北緯35度40分59.44秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
都営新宿線「大島」駅より南へ(小名木川へ)丸八通りを5分程歩いた所に鎮座しています。境内には宮司さん手作りの茅の輪が完成したところでした。

御祭神   京都伏見稲荷大社の御分霊
合祀神社 宇迦之御魂神 (太郎稲荷神社)・迦具土之命 (愛宕神社)
境内社   佐竹神社(宮司さんの名字は「佐竹」です。第5代宮司さんをお祀りしている?)

御由緒
慶安年間創建。由来同地海辺小名木川近く数々の津波により耕地荒廃甚しきため、村人相謀り京都山城の國伏見稲荷大社ご分霊奉遷し産土神として奉る。災除衣食住出世開運あらゆる産業の大祖神として、ご神徳広大輝き崇敬拝厚受け大島神社と呼んでおります。
東京都神社庁 都内神社の紹介 より

慶安年間(1648年〜1651年)、小名木川近くの海辺が度々津波に見舞われて、耕地が荒廃し住民が苦しんだことから、伏見稲荷大社の分霊を奉遷し産土神として奉ったのに始まる。後に、近くにある愛宕山勝智院境内の愛宕神社と、柳川藩下屋敷の邸内社であった太郎稲荷を合祀した。

元禄5年(1692年)9月29日、松尾芭蕉が深川から小名木川を下って門弟の桐奚宅を訪ねる途中で当社に参拝し、「秋に添て行はや末は小松川」の句を詠んだ。境内にはその句碑「女木塚」が建立されている。

合祀前の愛宕神社には享和3年(1803年)から1年間小林一茶が居住していた(ただし、大島2丁目の愛宕神社とする説もある)。
ウィキペディア  より

由緒書等境内説明文はこちら。

神社入口

宮司さん手作りの茅の輪

かなり剥離が進んでいる江戸流れ。東京大空襲で焼かれたのでしょうか。
(年代不明)
お狐様
(年代不明)

拝殿

本殿


社務所入口

この子も空襲でやられたようです。顔の損傷が無ければ素晴らしい狛犬だと思います。
(年代不明ですが1700年代後半位か)

松尾芭蕉&句碑

女木塚:秋に添て行はや末ハ小松川 奥の細道旅立300年記念
五月雨をあつめて早し最上川
神社前の小名木川 絵葉書:絵・沖山潤

脇参道入口

出世開運牛


佐竹神社

境内

佐竹神社を護る狛犬。子狛は失われたのでしょうか。
(年代不明)

社殿


御朱印