芭蕉稲荷神社

江東区常盤1-3-12 (平成23年6月16日)

東経139度47分51.33秒、北緯35度40分51.05秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
都営新宿線、大江戸線「森下」駅より南へ徒歩10分程の所に鎮座しています。当神社北200m程の所に江東区芭蕉記念館があり、当神社の斜め前、道路を挟んで正木稲荷神社、さらに芭蕉記念館分室があり見どころが多くあります。境内では蛙の置物が目立ちました。

森下駅構内

深川芭蕉庵旧地の由来
俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年(1680)から元禄七年(1694)大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。
ところが芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり幕末、明治にかけて滅失してしまった。
たまたま大正六年津波襲来のあと芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源治郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、同十年東京府は常磐一丁目を旧跡に指定した。
昭和二十年戦災のため当所が荒廃し、地元の芭蕉遺跡保存会が昭和三十年復旧に尽した。
しかし、当所が狭隘であるので常磐北方の地に旧跡を移転し江東区において芭蕉記念館を建設した。
芭蕉遺跡保存会。原文はこちら。

御祭神 松尾芭蕉ではありません・・・・

御由緒
松尾芭蕉は延宝8年(1680)深川芭蕉庵に移り、元禄7年(1694)10月12日、51歳で没するまで、この地を根拠地として全国の旅に出ました。
芭蕉庵は、弟子の杉山杉風(さんぷう)の土地で、生簀があり、その番小屋に芭蕉を住まわせたものといわれています。芭蕉没後芭蕉庵一帯は、武家屋敷となり、文久2年(1862)の絵図によると、尼崎藩の松平紀伊守の下屋敷となっています。この絵図には、庭の中に芭蕉庵の古跡があったと記載されています。
さらに、明治初年には長州藩の屋敷となり、間もなく民有地となりました。こうした土地所有者の変更によって芭蕉庵跡は消滅し、現在でもその正確な位置はわかっていません。
史跡をたずねて(江東区) より

神社入口

絵葉書:絵・沖山潤

お狐様

社殿

芭蕉庵跡碑 俳聖芭蕉翁生誕百五十年祭記念碑
歌碑「古池や蛙飛びこむ水の音」 奥の細道旅立300年記念碑

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老を迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて漂泊の思やまず・・・・で始まる東北への旅もここから出発したと云われております。
弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月は有明にて光をさまれるものから、不二の峯幽にみえて・・・・とあります。今と違い高層ビルなど無い江戸時代、富士山がここ深川から見えたようです。

御神木「さまざまのこと思い出す桜かな」