熊野神社

北区志茂4-19-1 (平成25年9月2日)

東経139度44分08.26秒、北緯35度46分49.50秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
私はJR「赤羽」駅より歩きました。約20分程の距離です。参拝後は荒川に沿って西へ八雲神社を目指しました。10分程で着きました。赤羽八幡神社の兼務社です。

御祭神 伊邪那岐神・伊邪那美神・事解之男神

御由緒
当社の創建については明らかではありませんが、別当寺である西蓮寺の鐘銘に「正和壬子年八月先師淳慶阿闍梨従紀州奉勧請熊野三社権現為当郷鎮守」とした旨が彫られています。当時の西蓮寺住職淳慶阿闍梨(じゅんけいあじゃり)が紀州(和歌山県及び三重県の一部)より熊野三社権現を勧請して正和元年(1312年)8月に下村(現在の志茂)の鎮守としたと記されています。毎年2月7 日には全国でも珍しい白酒祭りが行われます。なお、現在の社殿は明治百年記念事業として、昭和43年に改築竣工したものです。
境内案内板 より

ここ熊野神社は、正和元年(1312)西蓮寺住職淳慶阿闍梨が紀州熊野三社権現を勧請し、下村(現在の志茂)の鎮守とされています。現在の社殿は昭和43年に改築されたもので、社殿右の末社が旧本殿で、文政5年(1822)に造られたものです。
北区観光ホームページ  より

神社入口

祭具庫

境内

手水舎

絵馬

拝殿

大正6年の台座に平成11年の狛犬を乗せた獅子山。拡大写真はこちら。
(平成11年(1999)9月吉日建立)

本殿鞘堂


熊野神社社殿の右には、4社が祀られています。この社殿は旧熊野神社の御本殿です。これら4社は「講」として、村人が本来御本社に参詣するところ、当時の交通手段では出向くことは容易ではなく有志の方が代表して御本社より勧請し、熊野神社と一体にして氏子の信仰を仰いで今 日まで至っています。
中でも「阿夫利神社」は、昔より霊験あらたかであるとして、大山参りが「講」としていたるところの農村で村人に信仰されてきました。その意志を継ぎ、現在も毎年熊野神社総代が、春に阿夫利神社御本社参拝を続けています。公式サイトより

阿夫利神社

左右の脇障子

梛野原稲荷神社
梛木野原とは、荒川の対岸にあって下村 (現在の志茂)あの飛地として荒川放水路の出来るまで水田・畑でしたが、荒川の改修工事により開削されました。この稲荷神社は当時まで梛木野原に鎮座し、五穀豊穣と家内繁栄を願い村人の信仰を仰いでいましたが、荒川の改築当時に熊野神社境内に移築されました。

水神宮
「下村記行」には「荒川に上の渡し場、下の渡し場上下ともに水神を奉る社あり」云々と記されており、上・下に2基の水神様があり、梛野原稲荷神社と同様に荒川の改築当時、熊野神社境内に移築されました。稲荷神社の奥に鎮座。

神楽殿

御神木梛の木