平塚神社

北区上中里1-47-1 (平成26年1月12日)

東経139度44分58.46秒、北緯35度44分34.75秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
当神社の裏側(北側)は京浜東北線「上中里」駅です。駅より徒歩数分の所に脇入口があります。正面入口は本郷通りに面しています。

御祭神 八幡太郎 源義家命

平安後期の武将で、源頼朝・義経や足利将軍家の先祖。石清水八幡宮で元服したので八幡太郎と号された。

賀茂次郎 源義網命(義家の次弟)賀茂神社で元服したので賀茂次郎と号された。
新羅三郎 源義光命(義家の三弟)武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖。新羅明神で元服したので新羅三郎と号された。笙(剣貝注 ・しょう、雅楽などで使う管楽器の1つ)の名手としても有名。

平塚神社(旧平塚明神社)の略縁起
平塚神社の創立は平安後期、元永年中といわれている。八幡太郎 源義家公が御兄弟とともに奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜された。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守とした。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれた。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三御兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願った。
徳川の時代に、平塚郷の無官の盲者であった山川城官貞久は平塚明神に出世祈願をして江戸へ出たところ検校という高い地位を得て、将軍徳川家光の近習となり立身出生を果たした。その後、家光が病に倒れた際も山川城官は平塚明神に家光の病気平癒を祈願した。将軍の病気はたちどころに快癒し、神恩に感謝した山川城官は平塚明神社を修復した。家光自らも五十石の朱印地を平塚明神に寄進し、たびたび参詣に訪れた。
境内案内板 より

正面入口

参道

手水舎、後方は左より石室神社・御料稲荷神社・大門光元稲荷神社

菅原神社(平塚天神社)

拝殿

年代不明の獅子山。拡大写真はこちら。

向拝

本殿


神楽殿

神輿庫

脇入口

笙を吹く源義光を描いた『足柄山月』 月岡芳年「月百姿」

御朱印