熊野神社

葛飾区立石8-44-31 (平成17年6月12日)

東経139度51分40.78秒、北緯35度44分12.92秒に鎮座。

この神社は京成押上線・青砥駅の南約800mの、中川の土手に程近い立石8丁目に鎮座しております。境内はかなり広々としていますが、大半は熊野幼稚園、児童広場などになっています。樹齢700年高さ25mの楠の木が2本対になって繁っている様は見事です。ここは正式には五方山熊野神社 といい御祭神は伊弉諾尊、速玉男命、事解雄大神です。社殿の説明書きによると『自社は長保年間(999)に阿倍仲麻呂の末裔、陰陽博士安倍晴明により紀州熊野の神を勧請し創建されたと伝えられる。』とあり、東京における唯一の安倍晴明縁りの神社として知られています。「五方山」と名付けられているのは、境内が陰陽五行説の5角になっているためであるとされています。また御神体が石棒である為この土地が「立石」になったとも伝えられています。又、江戸時代にはこの辺り一帯は本田ウリの生産地で、本田ウリは熟すと銀白色になり、真桑瓜の金マクワに対して銀マクワと呼ばれていました。本所で穫れるウリと比べると、本田ウリは大ブリで格段に美味しい水菓子と評判を呼んでいたそうです。

令和7年3月「狛犬小僧」さんよりメールを戴きました。
令和7年3月20日。狛犬の撮りこぼしが有ったり、多少増えてる物もあるので再訪してみました。祭日なのに隣の幼稚園から子供の声が聞こえて来るので何でかなと思ったら、この日は卒園式でした。北口近くに五重塔と狛犬さんが鎮座していました。

御祭神 伊邪那岐命・速玉男命・事解雄命

由緒
社伝によると、創祀は、平安時代中期の長保年間(999〜1003)に、陰陽師安倍晴明の勧請によると伝えられています。
江戸時代の地誌「四神地名録」によると、当社の御神体は「神代の石剣」で、極めて珍しいものと記されております。
この辺り一帯には、古墳群をはじめ、霊石として知られる「立石」等があり、先史時代から集落のあった場所として、葛飾区内で最も古い神社の一つであります。
平安時代の熊野信仰は盛んで、花山法皇が那智の滝で一千日の修行中、邪魔をする天狗を、同行した安倍晴明が封じ込めて助けたと言われ、当社を勧請した安倍晴明と熊野の深い関係を知ることができます。
鎌倉時代、葛飾に縁りある御家人壱岐守、葛西三郎清重の崇敬を経て、更に江戸時代には三代将軍徳川家光や八代吉宗が、鷹狩りに当地にお成りの際や、徳川御三卿のひとつ田安家の度々の参拝の折には、必ず当社より「金烏の守護」を献上したと伝えられております。
当時、紀州熊野三社の神にお使の八咫烏と宝珠を象った、霊験あらたかな牛王宝印は魔除け・厄除け・病気平癒の守護として、全国に広まっておりました。当社故実の「金烏守護」は、安倍晴明が著したとされる陰陽道の秘伝書「金烏玉兎集」によるものと伝えられております。
また、ご神体を安置する内陣の石造りの神殿は寛政8年(1796)に、本殿は総公孫樹材を用いて明治12年(1879)に、幣拝殿は昭和36年に、夫々改築造営され、さらにご鎮座一千年記念事業として、平成20年正月に御神門・神楽殿が建立されました。
境内由緒書き より。

南側の鳥居(大正5年10月)

神門

御神木

手水舎

狛犬と拝殿

拝殿前の狛犬

向拝

拝殿と本殿

本殿


鶴と亀の長寿参道

安政六年六月の水神宮など

稲荷鳥居

稲荷社

天神社

御神木

鳥居

御神木の夫婦楠


神社案内板と北側の鳥居

五重塔入口

狛犬と五重塔

五重塔を護る狛犬。拡大写真はこちら。

(大正6年(1917)4月建立)

手水石