三谷稲荷神社

葛飾区東新小岩8-16-3 (平成31年2月20日)

東経139度51分22.19秒、北緯35度43分28.52秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
JR総武線新小岩駅北口より徒歩40分程の所に鎮座しています。

御祭神 倉稲魂命

由緒
三谷稲荷神社は文明9年(1477)上品寺(東新小岩7丁目)の尊栄法印がその住寺を再興するとき檀家の奈良橋氏と相談して丑寅(北東)の汐入之庭という清浄な地を選び五穀豊穣の神、京都伏見稲荷大明神の分霊を勧請して造營したものであります。
当時はこの地には農家が三軒しかなかったので三家・または三屋稲荷と呼ばれたのが後に三谷稲荷と呼び書き改める様になりました。
この地域は江戸時代から農業が盛んであったため、三谷稲荷は火除け病気平癒、商売繁盛の神として村人から厚く信仰され、初午の日には子供達が祭礼のお賽銭を集めて廻る行事が行われていました。
文政年間(1818〜1829)神社を守っていた奈良橋太郎兵衛氏が隣村上小松村(東新小岩4丁目)の名主となったため、其の後三谷稲荷は氏子により管理されるようになりました。
今日に至るまで祭礼など神社の諸行事は年番とよばれる制度により、地域に住む氏子たちが交替で奉仕しております。
御神木の銀杏の樹は、江戸時代この地を支配した代官伊那半十郎忠克による慶安2年(1649)の検地の際植樹されたものといわれ参百数拾年以上もこの地域の発展を見守り続けています。
其の間近くは昭和11年社地の改名、現在の社殿は昭和40年拝殿および三谷稲荷会館は昭和57年に建てられたものです。・・・・・
境内石碑より。

神社入口

後鳥羽天皇という人物が「分社で分けられた神社も正一位って名乗っていいんじゃないの?」
みたいなこと書いてしまったのです。伏見稲荷から分けられた全国の稲荷神社もですね、
「じゃあ俺たち正一位」って名乗るようになって、正一位っていうのは稲荷神社の別称になってしまいました。

手水舎

拝殿

檻の中のお狐様
(昭和48年(1973)12月吉日建立)

本殿

拝殿内部

振り返って