板橋区徳丸6-34-3 (平成26年10月30日)
東経139度39分49.11秒、北緯35度46分31.81秒に鎮座。
【神社情報・剣貝さんより】
東武東上線「東武練馬」駅下車。徒歩10数分の所に鎮座しています。境内は綺麗に整備されており、境内社の案内もあり好感がもてました。ただし狛犬を正面から見られないのが残念。
御祭神 菅原朝臣道真公
御由緒
当社が所蔵する社宝『天神宮紀』によれば、一條院正暦年中(990〜994)に、この地に疫病が流行し、里人等大勢の者がこの病により暴死した。この時、里人の一人徳麿(とくまろ)の夢に大神様が現れ、当地にある梅の古木に祈願するようお告げがあった。お告げの通り梅下により、疫病の癒えん事を謹拝して去った所、奇妙な効果(霊験)が得られ疫病はことごとく去って行った。そこで、梅はまさしく聖廟天神の珍愛されたことから、山城国(京都)北野天満宮より御分霊を戴き、当地に祠を設けて、天満宮と号した。第66代一條院長徳元年乙羊(995)正月11日御幣帛を捧げ、大前に田夫の業を以て俳優(わざおぎ)となし、神威を安んじ奉った。この田夫の業とは、今の国重要無形民俗文化財「田遊び神事」の事で創建以来一年も休まず続けられている。
当神社公式サイト>由緒 アクセス より
参道入口
一の鳥居
天王社
徳丸出羽三山神社、右は當山供養塔
二の鳥居
「田遊び」の碑と説明板
北野神社と無形文化財「田遊び」
長徳元年(995)京都北野神社より勧請する。道真公は平安時代の学者で右大臣に任ぜられ、のち藤原時平の嫉にあい九州の大宰府にながされてその地にて没す。没後は天神とあがめられ、学問、能筆の守り神として庶民の間に崇敬をあつめている。
無形文化財「田遊び」は、毎年二月十一日夜間、五穀豊穣を祈願して行われる。この夜地の神を招き、農家一年の行事を所作と唄で表す古い形を残した祭りである。
また、毎年五月には獅子舞が行われ、悪疫の退散を子供の無事成長が祈願される。
板橋区教育委員会
手水舎
境内
右側石灯籠正面
右側裏面
左側石灯籠正面
左側裏面
杵築神社・稲荷神社
三峰神社
天祖神社・石上神社
天神様の神使「牛」様
拝殿、狛犬は木で隠れています
とても良い江戸流れに見えます。残念!。拡大写真はこちら。 | |
(文久3年(1863)癸亥正月吉日建立) |
本殿覆屋
境内
稲荷神社
須賀神社
祖霊社
脇参道
脇参道手水舎
御朱印