中割天祖神社

江戸川区東葛西7-17 (平成25年7月27日)

東経139度52分51.38秒、北緯35度39分20.27秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東京メトロ東西線「葛西」駅より徒歩10数分 の所に鎮座しています。

御祭神 天照皇大御神

天祖神社沿革
本社は慶安2年(1649年)旧東宇喜田村中割の鎮守として昇覚寺開祖邵値阿闍梨が、天照皇大御神を勧請し建立したことに始まる。別当は昇覚寺がこれを務め、創建時代は「大名神宮」と称し後に「神明社」「神明宮」と改称される。明治5年(1872)本社が村社となるに及んで、別当は神職に委ねられ名も天祖神社と改称し、爾来、本村の氏神守護神社として、多くの氏子を擁し敬虔な信者を中心に、近村に及ぶ信仰をあつめるに至った。
本社は創建以来、数度に亘り再建されたが、今回、区画整理事業都市計画街路補助道建設棟の事由により東葛西9丁目5番1号から余儀なく換地先現在地へ移転。5たびの造営となり昭和63年(1988)3月から工期1ヶ年余を費やし、社殿、水屋、社務所を新築。鳥居、狛犬、敷石を新たにして、端垣を増設植樹を為す。灯篭・富士塚・疱瘡神・顕彰碑等はその侭移転整備した。造営にあたっては、町民挙ってこの一大事業に深大な支援協力を得た。併せて篤志家のご厚志を仰ぎ、勧進した浄財と葛西土地区画整理組合からの移転補償金を以てこれに充て、平成元年(1989)3月竣工をみる。この業績を記念し経緯を永く沿革としてしるす。
平成元年3月吉日 中割天祖神社建設委員会

御由緒
旧東宇喜田村中割の鎮守で慶安二年(1643年)邵値阿闍梨が天照大神の分神を勧請したのが始りで、もとは神明社と呼ばれ明治五年に天祖神社と改称さる。区画整理に伴い平成元年三月に東葛西九丁目五番地から現在地に移転費、寄付金等で移転す。
東京都神社庁 [都内神社のご紹介]  より

入口

手水舎

拝殿、狛犬年代・平成元年3月吉日

本殿

中割の富士塚
この富士塚は、昭和初年に、葛西講(富士を信仰した人びと)によって旧天祖神社境内に築造されたものです。神社の移転とともに、ここに移築されました。
平成2年3月 江戸川区教育委員会

末社

右端祠の脇障子