(いかづち)香取神社

江戸川区東葛西(旧東葛西領東宇喜多村) 4-38-11 (平成22年12月1日)

東経139度53分15.07秒、北緯35度39分20.44秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東西線葛西駅から徒歩20分程、旧江戸川の西側に鎮座しています。通称雷香取神社、隣は雷不動です。この辺は新住居表示でなく昔の町の名、雷町会で活動しているようです。境内で古いものは末社の手水鉢(明和5戊子年3月吉日)と賽銭箱くらいで他はすべて平成に建造された新しいものです。

御祭神 経津主命
御由緒
本社は古くは明和5年(1769年)の昔郷土の鎮守として鎮座いたしており、この度再度の改築であり、今回の改築は都市計画整理事業による、道路築造工事に伴い神社の移転をよぎなくされ、現在地に再建されたのであります。建物も老朽化されており、改築の時期でもあり、地区住民挙って計画に賛成されたのであります。
施行は神殿水屋新築、鳥居狛犬敷石瑞垣燈籠水神社、八雲神社等付帯事業造営にあたっては、町民挙ってこの一大事業に深大な支援協力を得、併せて篤志家の御厚志を仰ぎ、勧進した浄財と都市計画局防災計画都部市街地開発課からの神社移転補償金を以て、これに充て平成2年(1990年)10月竣工をみる。この事蹟を記念し、経緯を永く沿革としてしるす。
平成2年10月27日雷香取神社建設委員会
境内石碑 より

村内(東宇喜田村)雷組(いかづち)の鎮守とす、眞藏寺持、新編武蔵風土記稿 より
真蔵寺(雷不動(いかづちふどう))、雷香取神社の隣の寺。

東宇喜田村宇喜田は1596年(慶長元)、宇田川定氏によって開発された。元は小松川地先の海辺。旧中川や旧江戸川の三角州の南端にあった萱(かや)生地・荒地であった。本来の宇喜田は、現在の北葛西から東葛西まで広がっていた。元禄時代に西宇喜田村と東宇喜田村に分かれた。
ウィキペディア  より

社号標と神社入口

手水舎

拝殿と狛犬

平成生まれらしく元気一杯な岡崎型狛犬

本殿


水神社、八雲神社。左右特定出来ませんでした。左手は明和5戊子年3月吉日建立の手水鉢。

江戸川区保護樹のクロマツ。神社側より。

寺側より。


真蔵院(雷不動)

天文年間(1532〜1554)の創建と伝える旧東宇喜多村の古刹で、真言宗豊山派、海松山と号します。本尊には木造不動明王立像をまつっています。
波切り不動と雷不動
葛西沖でしけにあった漁師が、この寺の松にいた竜発する光で助けられ、残された剣を不動にそなえたことから波切り不動、その不動が大雷雨のとき雷を退治したことから雷不動と呼ばれたと伝えられています。
江戸川区教育委員会。境内案内板 より。

本堂

扁額

狛犬と末社。右手が道標。

雷不動明王石造道標
真蔵院の本尊、木造不動明王立像は「波切不動」あるいは「雷不動」と呼ばれ、多くの参詣者を集めました。この道標は「雷不動」に行くための道しるべで、文政元年(1818)に建立(再建)されました。
新川河口南岸(東葛飾1-48-16先の路上)にありましたが、平成三年四月に倒壊したため、修復してこの地に移設しました。この道標には、新川の曳舟のとも綱をかけた跡が残っています。
江戸川区教育委員会

石仏

やや小ぶりながら、渋い面構えの江戸流れ。拡大写真はこちら。

(年代不明)

浅間神社

石碑。冨士講が盛んだったようです。

力石