根津神社

文京区根津1-28-9(平成20年7月19日)

東経139度45分52.62秒、北緯35度42分57.21秒に鎮座。

この神社は、JR上野駅の北西1.5km程の辺り、東大の地震研究所の北側に鎮座しております。東京にもこんなに広い神社あったのか、と驚く程の広い社地に江戸時代を代表する楼門や社殿が建っています。度々の大火や空襲のなか良く残ったと思います。

御祭神:須佐之男命・大山咋命・誉田別命 相殿:大国主命・菅原道真公

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。
境内由緒書はこちら。

根津神社
 日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し、権現造の社殿を造営した。
 社殿は拝殿・本殿と両社を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根でまとめ、権現造の完成された姿をみせている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとしてすべて国指定重要文化財である。
 祭神は須佐之男命、大山咋命、誉田別命、大国主命、菅原道真公である。
 境内には「家宣の胞衣塚」(区指定民族文化財)、「塞の大神碑」などがある。
文京区教育委員会

江戸時代の名称は勿論、「根津権現」。江戸時代には境内に別当寺があり、門前には根津遊郭があったようなので、現在とは結構趣が異なっていたのかも知れません。

神社入り口。社号標には「元准勅祭社 根津神社」と書かれています。

楼門

神楽殿

唐門

拝殿

拝殿前の狛犬。但し大正の狛犬です。拡大写真はこちら。

(大正元年(1912)9月建立)

燈籠

黄金の木鼻。拡大写真はこちら。

神輿三基・付獅子二頭 区指定有形文化財(工芸)
根津神社(根津権現)は、五代将軍綱吉により、世継ぎの家宣(六代将軍)の産土神として。宝永3年(1706)千駄木にあった社を移し建てられた。
 造営記念の祭礼が、正徳4年(1714)に、いわゆる天下祭、宝永祭として盛んに行われた。この時、神輿三基が奉納されて御神幸に用いられた。
 神輿は漆塗や金具などに後補があるが、本体部は始めのもので、製作年代の明らかな江戸神輿として貴重なものである。
 獅子は、頭、尾および背布からなる二頭である。『江戸根津大権現神前額面之縮図』によれば、宝永祭の神輿行列を先導する獅子二頭が描かれている。神輿と同時の製作と考えられ、天下祭を偲ぶ重要な遺品である。
 神輿と獅子を一対として指定した。
----郷土愛をはぐくむ文化財----
文京区教育委員会

この中に納められているようで、普段は非公開なのでしょうか。郷土愛をはぐくむ為にも是非見せて下さい。

拝殿前

この後カメラにトラブルがあり写真はここ迄。続きは又。