根津神社

文京区根津1-28-9 (令和6年8月11日)

東経139度45分50.30秒、北緯35度43分01.08秒に鎮座。

この神社は、JR上野駅の北西1.5km程の辺り、東大の地震研究所の北側に鎮座しております。東京にもこんなに広い神社あったのか、と驚く程の広い社地に江戸時代を代表する楼門や社殿が建っています。度々の大火や空襲のなか良く残ったと思います。

御祭神:須佐之男命・大山咋命・誉田別命 相殿:大国主命・菅原道真公

由緒
本社の御創立は遠く景行天皇の御宇と傳えられ、古来駒込の地に鎮座。文明年中(1469〜1486)太田道灌持資は御社殿を再建。下って寶永3年(1706)征夷大将軍徳川綱吉その嗣子の定まるや神恩に感謝、今の地を相して神地に充て現社殿を造營社領五百石を寄せ更に幕政を以て祭祀の制を定め天下祭と稱せられる。壮麗なる祭典を斎行爾来江戸城東北の鎮護として歴代の将軍、その崇敬は洵に篤かった。
明治天皇は維新に際して畏くも敬使を差し遣わされ國家の安泰を祈願せられる等古くより公武の尊崇深き名社である。
尚境内地は六代将軍徳川家宣の邸趾で曙の里、又つゝじ岡と稱せられ花季の眺は現に東京の名勝である。
境内由緒書き より。

日本武尊が千駄木の地に創建したと伝えられている。現在地は江戸時代、甲府宰相・松平綱重の山手屋敷跡であり、のちに六代将軍となる徳川家宣の誕生の地であった。五代将軍・徳川綱吉は家宣の産土神として宝永3年(1706)に千駄木にあった社をこの地に移して、社領500石を附し、権現造の社殿を造営した。
社殿は拝殿・本殿と両社を接続する幣殿(相の間)からなり、しかも一つの屋根でまとめ、権現造の完成された姿をみせている。拝殿前に唐門を配し、その左右から透塀で社殿を囲んでいる。唐門前方の楼門を含め、権現造神社建築様式の旧規を示すものとしてすべて国指定重要文化財である。
祭神は須佐之男命、大山咋命、誉田別命、大国主命、菅原道真公である。
境内には「家宣の胞衣塚」(区指定民族文化財)、「塞の大神碑」などがある。
文京区教育委員会

江戸時代の名称は勿論、「根津権現」。江戸時代には境内に別当寺があり、門前には根津遊郭があったようなので、現在とは結構趣が異なっていたのかも知れません

参道入口

参道

境内

重要文化財の楼門。本殿・幣殿・拝殿・銅燈籠・唐門・西門・透塀も重要文化財。宝永3年(1706)建立。

随神様

唐門

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正元年(1912)9月建立)

銅燈籠

黄金の木鼻。拡大写真はこちら。

神額

拝殿内部

本殿


神輿三基・付獅子二頭 区指定有形文化財(工芸)
根津神社(根津権現)は、五代将軍綱吉により、世継ぎの家宣(六代将軍)の産土神として。宝永3年(1706)千駄木にあった社を移し建てられた。
造営記念の祭礼が、正徳4年(1714)に、いわゆる天下祭、宝永祭として盛んに行われた。この時、神輿三基が奉納されて御神幸に用いられた。・・・・・・
----郷土愛をはぐくむ文化財----
文京区教育委員会

この中に納められているようで、普段は非公開なのでしょうか。郷土愛をはぐくむ為にも是非見せて下さい。

舞殿

庚申塔

塞大神碑