妻恋神社

文京区湯島3-2-6 (平成23年5月21日)

東経139度46分13.49秒、北緯35度42分0.71秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR中央線・東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水」駅より徒歩8分の所に鎮座しています。妻恋坂の上ですね。神社が旧湯島天神町からこの地に移ってから妻恋坂の名が付いたとのこと。以前訪れた時は屋根の修理中でした。祭りは津島天神と一緒に行うとのことでそれまでには完成するだろうと。湯島の祭りの日に再度訪れました。屋根は銅葺きでピカピカでした。

御祭神 倉稲魂命〔うかのみたまのみこと〕・日本武尊〔やまとたけるのみこと〕・弟橘媛命〔おとたちばなひめのみこと〕
御由緒
その昔、日本武尊の東征のとき、三浦半島から房総への途中で大暴風雨にあい、妃の弟橘姫が海に身を投じて海神の怒りを鎮めたという。
途中湯島の地に滞在したので、郷民が尊の姫を慕う心をくんで、尊と姫を祀ったのがはじまりと伝えられる。
江戸時代には、妻恋稲荷の名で有名となり王子稲荷と並んで参詣者を集めた。
江戸時代から伝わる木版刷りの縁起物が「夢枕」と呼ばれるもの。
七福神を乗せた宝船の版画で、正月2日の夜、枕の下に敷いて寝ると縁起のいい初夢が見られるといわれる。
文京区公式サイト お寺・神社 より

妻恋神社と夢枕
その昔、日本武尊の東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき、大暴風雨に会い、妃の弟橘姫が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救った。途中尊が、湯島の地に滞在したので、郷民は、尊の妃を慕われる心をあわれんで、尊と妃を祭ったのがこの神社の起こりと伝える。後、稲荷明神(倉稲魂命)を祭った。
江戸時代、妻恋稲荷と呼ばれ、関東惣社と名のり王子稲荷と並んで参詣人が多かった。また、正月二日の晩に枕の下に敷いて寝ると、よい夢を見るという縁起物の木版刷りの「夢枕」が売り出された。
”お宝お宝と大音声に呼ばわったり”(宮島五丈原)「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の二枚の夢枕は、万治年間(1658〜61)に創案され当社が版権を所有していた。版木は、戦災で焼けたと思われていたが昭和五十二年十二月摺師の家で見つかった。幻の夢枕は、関係者によって日の目を見て、売り出されるようになった。-- 郷土愛をはぐくむ 文化財 --
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神社入口

拝殿

稲荷神社

馬頭観世音

拝殿と本殿、脇より。