簸川(ひかわ)神社

文京区千石2-10-10 (平成23年4月26日)

東経139度44分36.68秒、北緯35度43分7.81秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東京メトロ丸ノ内線「茗荷谷駅」を下車、湯立坂を下り、途中の旧磯野家(注:サザエさんの家ではありません)住宅を右に見て徒歩10分程の所に鎮座しています。(神社への順路としてはベストと思います)境内は工事中の為、車が目立ちました。

当社御創立は、第五代孝昭天皇御宇三年(473)と伝えられる古社で、八幡太郎義家公奥州下向の折参籠ありし名社である。
当神社は植物園の地御殿坂辺なる貝塚の古墳上に鎮座しあり、応永二十九年(1422)九月、神主毛利二世伊豫の時、社頭頽廃せるにより造修したること棟札に明瞭にして、記するに小石川総社氷川明神とあれば、この頃既に大社なりしを知るべし。
植物園に四代将軍家綱公の弟徳松丸君の邸宅を営むに当たり、当社々地を用地に供す。依って当社は元の原町、現在の白山四丁目二十番の辺に移転す。当時応永元年(1652)八月のことなり。徳松丸君は後の五代将軍綱吉公なるが、新営の邸宅は人呼んで白山御殿といい、付近の町名は住居表示実施まで白山御殿町であった。
景勝地といわれた現在の高台に移転したのは、元禄十二年(1699)であり、すでに三百有余年を経るに至った。
神社は創立以来幾星霜、氏子が代々相承け相伝え常に神徳を仰ぎ奉りつつ祭祀を絶やさず今日に及んだが、中世荒廃した社地社殿を伝通院開山了誉上人が再興されるや、一躍有名な社となり江戸名所の一つに数えられたことは神社史に特筆されるべきことである。・・・・以下略
境内由緒書 より

御祭神 素盞鳴命、大己貴命、稲田姫命
御由緒
当社は、第五代孝昭天皇御宇三年(473年)と伝えられる古社で、八幡太郎義家公奥州下向の折参籠ありし社である。氷川神社を社号に永年使用してきたが、大正時代に学者らに研究を依頼し、簸川の字が適号との結論を得て、現号に改めた。
東京都神社庁 都内神社のご紹介 より

参道入口&社号標

一の鳥居

参道階段&二の鳥居

戦前の狛犬らしく如何にも強そうな狛犬です。拡大写真はこちら。
(昭和6年(1931)9月建立)

拝殿

本殿


境内末社・不明

末社を護る江戸尾立。拡大写真はこちら。
(寛政11年(1799)己未5月吉日建立)

境内末社

彫刻

脇障子の狛犬


湯立坂:「里人の説に往古はこの坂の下は大河の入江にて氷川の明神へは河を隔てて渡ることを得ず。故に此所の氏子ども此坂にて湯花を奉りしより坂の名となれり。」(江戸志)

旧磯野家住宅