吹上稲荷神社

文京区大塚5-21-11 (平成23年6月7日)

東経139度43分56.59秒、北緯35度43分9.82秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
春日通りと不忍通りの交差点より北西300m程、有楽町線「護国寺駅」徒歩5分、丸ノ内線「新大塚駅」徒歩5分の所に鎮座しています。背景は豊島岡墓地(皇族(天皇・皇后を除く)専用の墓地)の杜が広がっています。静かで落ち着いた雰囲気の境内でした。

御祭神 保食之大神(うけもちのおおかみ)
御由緒
元和八年、徳川秀忠公が日光山より御神体を奉持し江戸城吹上御殿内に勧請斎祀。後に松平大学頭が徳川家より拝領。宝暦年間前に武蔵国北豊島郡大塚村の総鎮守として松平家より拝受、奉斎す。武家諸公の信仰も厚かった。
東京都神社庁 都内神社の紹介 より

元和八年(1622)徳川秀忠が下野国日光山より稲荷大神の御神体を戴きき、江戸城中紅葉山吹上御殿に「東稲荷宮」と称し、海川山野産食物の神として、幕府が崇敬し奉り、武家諸公の信仰が厚かった。
後に、徳川家から水戸家の分家松平大学頭家へ、そして宝暦元年(1751)に大塚村民の鎮守神として現小石川四丁目に移遷し、崇敬者多数に及び、武家の信仰も篤かった。また、この時に江戸城内吹上御殿に鎮座せられるを以て、吹上稲荷神社と改名奉った。その後、護国寺月光殿から大塚上町へ、そして大塚仲町と移遷し、明治四十五年(1912)に大塚坂下町(現在地)に遷座し奉り今日に及ぶ。
境内由緒書 より

参道入口に立つ一の鳥居と社号標

二の鳥居

参道の石狐

拝殿

手水舎&御輿庫

裏参道

御朱印