胡録神社

荒川区南千住8-5- (平成25年7月20日)

東経139度48分37.21秒、北緯35度44分07.17秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
京成本線「関屋」駅、東武スカイツリーライン「牛田」駅より南へ徒歩10数分の所に鎮座しています。途中、隅田川を渡ります。

御祭神 面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)

御由緒
胡録神社は、永禄四年八月川中島合戦の折、上杉の家臣高田嘉左衛門(たかだかさえもん)なる者戦に敗れ、計らずも集いたる十二名の同志と、関東に厄難を逃れて落ちのび、当地の汐入に竹内、杉本、杉山等数名と永住の地と定めて土着し、村落生活の安寧を祈願するため、守護神として永禄四年九月十九日、面足尊・惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたと伝えられます。当社は古くは大六天と称したが明治二年太政官達により、神仏分離がされた際、往時武士が矢を支える武具を胡録と申した事と、また、当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、御社号を胡録神社と改称されました。神殿は嘉永五年九月十九 日改築造営されたものです。汐入の辺りはその昔、蛎殻を石臼にかけ胡粉という人形の上塗りの塗料を造り出荷する生業が盛んであったが、境内には古き石臼が奉納されています。八代目嘉左衛門の頃には、汐入大根の栽培地と変革し人気の高い作物であったが、今はその畑もなく、昭和末頃から汐入地区の再開発計画が進められ、平成の初期には見られた木造建築の旧家も取り壊され、多くの地主は、高層住宅へとその生活を移されました。当社もその限りにあらず、平成十年の計画により、境内地を前方に遷座する事となりました。平成十五年九月十九日には遷座を終え、竣工奉告祭が執り行われました。
当神社公式サイト より

境内由緒書きや地図はこちら。

正面、背後は隅田川 (写真01)

手水舎

玉垣前の獅子山。左手内側下に子狛がおります。

堂々と貫禄ある獅子。拡大写真はこちら。
(年代不明)

狛犬&拝殿

空襲で焼かれたのでしょうか。出来が良いだけに残念!。拡大写真はこちら。
(天保10年(1839)己亥9月建立)

向拝の彫刻と神額

本殿 (写真10)


往古は旅行安全の神様として、汐入の村落の出入り口に祀られていたが、現在では胡録神社の境内に移され祀られています。
境内由緒書き より

左、道祖神・右、刀塚

刀塚
刀塚は、永禄四年八月、川中島の合戦で敗れた上杉謙信が家臣高田嘉左衛門らが落人となり、刀と鎧兜を地中深く埋め、葦が群生する汐入の地を開拓しました。後に汐入の開拓を後世に伝えるため、昭和三十四年九月、町の有志が集まり、埋地と伝承される。南千住8丁目1の40番地付近に刀塚として祀りました。平成からの汐入地区再開発で、平成十二年四月、胡録神社が遷移され、同時に刀塚も境内に遷され、祀られています。
当神社公式サイト より

神楽殿

祭具庫

社務所の一室内

裏参道入口 (写真15)

御朱印