荒川区南千住1-59-11 (令和7年4月15日)
東経139度47分45.94秒、北緯35度43分50.87秒に鎮座。
【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この寺院は、南千住駅の西600m程の辺り、南千住の街中に鎮座しております。山号は補陀山、宗派は曹洞宗。
御本尊 聖観音菩薩
由緒
延暦10年(791)、坂上田村麻呂が開創したと伝えられる。また、源義家が奥州を鎮定したとき、討ちとった48の首を寺域内に埋めて塚を築いたので、このあたりを小塚原とよぶようになったという。
江戸時代、下谷の広徳寺・入谷の鬼子母神とともに「下谷の三寺」とよばれた。秩父・坂東・西国霊場の百体の観音像を安置した観音堂があったことから「百観音」の通称で親しまれたが、観音堂は安政2年(1855)の大地震で倒壊した。
境内には、石造七重塔、彰義隊士の墓、永仁4年(1296)銘をはじめとする板碑四基(区指定文化財)などがある。
境内由緒書き より。
入口
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和14年(1939)己卯11月12日建立)
聖観音菩薩像
黒門
明治維新(慶応4年)に行われた上野戦争で、亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行った。そのため、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もある。
ウィキペディア より
彰義隊の墓
石碑
庚申塔
石仏
死節之墓。旧幕臣の戦死者の供養に尽力した寛永寺御用商人の三河屋幸三郎が向島別宅に、鳥羽、伏見、函館、会津などの戦死者の名前を彫って供養をしたのが「死節之墓」です。