高砂神社

足立区足立1-27-17 (平成26年3月28日)

東経139度48分32.41秒、北緯35度45分31.26秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東武伊勢崎線「五反野」駅より南へ徒歩10分程の所に鎮座しています。新旧の社殿が並んでいます。

御祭神 倉稲魂命

御由緒
旧千住北組の神社 高砂神社(勘七稲荷)
祭神は倉稲魂命で、千住北組飛地2丁目の4丁目耕地と東中沼耕地の守護神。三軒家・石川勘七家の地主稲荷社で、天明年間(1781〜89年)に京都伏見稲荷より勧請しました。勘七家は荒川放水路開削で、河川敷地内にあたったため、1913(大正2)年頃に同じ三軒家の内田鎌太郎邸内に旧社殿を一時移転しました。その後、1950(昭和25)年、高砂町内有志により現在地に社殿を建立しました。
ブックレット足立風土記E綾瀬地区 (足立区教育委員会) より

高砂神社は古来勘七稲荷と稱し、御祭神は倉稲魂命を奉祀し武蔵国南足立郡千住宿北組飛地二丁目の四丁田耕地、及び東中沼耕地等の守護神として五穀豊穣悪病除けの霊験顕著なる氏神にて、村人の崇敬厚く旧神域は下妻街道に架る六道橋より伊藤谷橋に至る前街道の北側に廣大なる境内には、樹齢二三百年の老松高く聳へ雑木生茂る中に文久元年九月七 日建立せる茅葺の社殿にて子供等のよき遊び場なりき。明治四十年七月豪雨により利根川を初め荒川等の河川氾濫し、大被害を生じ更に明治四十三年八月亦々大豪雨あり。関東の各河川の堤防決壊し当地の一部民家も濁水に没するもあり。打続く水害に住民は再起の意気さへ喪失する程なりき。茲に内務省に於て十ヶ年の経続事業として将来の水害防除のため、岩淵村より荒川放水路の開削を決し明治四十四年起工され、当神社もその河川敷に当り止むなく、大正二年千住飛地二丁目三百九十二番地に三十坪の土地を神域と定め、旧社殿を其まゝ移転奉祀せるものなり。其後地域の発展氏子の増加により神殿改築の議起り氏子有志相謀り移転を決定。昭和二十五年氏子の勤募金を以て千住四丁目田原伊兵エ氏の所有せる現在地二百六十三坪金三十萬円也にて譲り受け神域とし、先づ社殿を建立し昭和三十一年四月法人組織となし、以来宗教法人高砂神社と稱するに至る。其後神輿庫、社務所、奥宮、社号碑、又町内より應召不幸戦没せる英霊を祀るべく慰霊碑を建立し、其冥福を祈る。又有志の寄進による水屋手洗鉢、大燈籠、庭石、霊狐等をそなえ神域の整備を完了せり。此の地に移築鎮座二十周年に当り狛犬一対を奉献し之を記念し此の碑を建つ。
昭和四十六年九月吉日 志村文蔵謹撰誌 境内石碑 より

正面入口

手水舎

拝殿

拝殿前の岡崎型狛犬
(昭和46年(1971)9月建立)

抱き稲の紋

神額

奉納額

本殿


脇の入口

旧社殿

神額

石狐