御嶽神社

足立区扇1-28-27 (平成26年4月27日)

東経139度46分51.56秒、北緯35度45分29.95秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
日暮里・舎人ライナー「扇大橋」駅より東へ徒歩10数分の距離の所に鎮座しています。

御祭神 国常立命

御由緒
祭神は国常立命で、1639(寛永16)年の創建と伝えられています。『新編武蔵風土記』本木村の項には「御嶽社一ハ吉祥院持ニテ、一ハ宝寿院持ナリ」とあり、当社は、吉祥院持ちの前者にあたります。現在の社殿は1988(昭和63)年に完成したもので、鉄筋コンクリート造りの倉庫の屋上に建てられています。社殿と同じ屋上には、寛政5(1793)年銘の青面金剛の庚申塔があります。また、境内にはJA(農協)の名前による、本木地域でのセリ栽培の実績を記したプレートも建てられています。
ブックレット足立風土記 A 西新井地区 より

鳥居と拝殿

左手の社務所

覆屋と石祠

水神宮・水天宮と青面金剛

足立の水セリ
大きな河川の下流域にあたる足立区には、低湿地帯が多く、本木地区(現在の扇、本木、興野付近)では、豊富な水を利用した水セリ栽培が生まれました。水セリの栽培起源は明らかではありませんが、江戸時代の中頃と言われています。セリ栽培の盛んな頃は「一寸一両」といわれ、茎が長いほど高く売れたので、農家は1cmでも長く作る努力をかさね、長いもので50cmにも成りました。冬のセリ田での収穫作業は骨身にこたえたと語りつがれています。しかし、初春の風味をもつ野菜として喜ばれ、農家の大きな収入源となっていました。足立のセリは、東京近郊といった優位な条件を背景に「東京セリ」として長く市場を独 占していましたが、昭和40年代に入ると、この地域も都市化が進み、セリ栽培も次第になくなりました。一方、輸送手段の発達により、セリ栽培は東京から離れた茨城県、宮城県等へ技術とともに引き継がれて行きました。