三嶋神社

足立区扇2-9-3 (平成26年5月12日)

東経139度46分19.72秒、北緯35度45分33.81秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
日暮里・舎人ライナー「扇大橋駅」から徒歩5分の所に鎮座しています。

御祭神 大山津見命

御由緒
三嶋神社の祭神は大山津見命(おおやまつみのみこと)。慶長年間に元小田原北条氏の家臣であった阿出川丹後守権左衛門知康という人が本木村字太田一帯の開拓をすすめたと伝えられる。三嶋神社は彼が年来崇敬してきた三嶋大明神をこの地に勧請したことに始まるという。
寛文年間には鳥居や社殿が新たにされ、疫病除けに本地仏薬師如来像を建立した。その頃からずっと三嶋神社は大田と高野の人々の鎮守として祀られてきた。当時、太田・高野の人家は四十軒程であった。延享元年には本殿を覆う雨屋(鞘堂)が建立された。その後も改修が繰り返され、氏子の努力と町民の協力によって今日まで維持されてきた。幸いに、保存されている棟札が、氏子の献身と神社の経歴を今日に伝えている。
棟札の他に当神社に付随する文化財として、年々奉納される絵馬と延宝六年の燈籠型庚申塔一対及び荒川放水路開削工事で移設された水神碑と元禄十年の仁王型庚申塔一対(区内唯一のもの)がある。
慶長年間(1596〜1614) 延享元年 (1744年)雨屋新設
寛文年間(1661〜1672) 文化十五年 (1818年)雨屋改修
延宝六年(1678年)燈籠型庚申塔     明治十三年(1880年)鳥居改修
元禄十年(1697年)仁王型庚申塔     昭和三十年(1955年)社殿改修
三嶋神社 由来碑 より

祭神は大山津見命です。慶長年間(1596〜1615)に、阿出川権左衛門知康がこの地に来て本木村の小名太田を開拓した時、崇敬していた三嶋大明神を勧請したといいます。本木村の鎮守は氷川神社(本木西町)ですが、三嶋神社は本木村の小名太田・高野(扇2・3丁目の一部)の鎮守として祀られていました。境内には、延宝6(1678)年8月銘の石灯籠型の庚申塔や1697(元禄10)年11月上旬銘の仁王像の庚申塔が残されています。また、本殿の中には、1665(寛文5)年から1955(昭和30)年まで計7枚の棟札があり、社殿・鳥居・社殿を保護する「雨屋」(=鞘堂)の建立、三嶋宮本地の薬師如来造立など、三嶋神社の歴史を伝えています。
ブックレット足立風土記西新井地区(二) より

入口

区内唯一の仁王型庚申塔 (元禄10年1697)

振り返って、ライナー。

日暮里・舎人ライナーは、東京都交通局が運営する新交通システムで、荒川区の日暮里と足立区の舎人地区を結ぶ9.7kmの路線です。

拝殿

平成生まれの岡崎型狛犬
(平成14年(2002)12月吉日建立)

向拝の彫刻

龍と木鼻の狛犬

本殿鞘堂


境内社

稲荷神社

第六天龍王

第六天龍王を護る岡崎型狛犬
(平成14年(2002)9月建立)

第六天龍王本殿

水神碑

祭具庫