氷川神社

足立区千住大川町12-3 (平成27年2月4日)

東経139度48分08.60秒、北緯35度45分14.30秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR北千住駅西口より荒川方面へ徒歩10分程の所に鎮座しています。駅からは脇入口の方が近くになります。

御祭神 素盞嗚尊・倉稲魂命

御由緒
祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと)・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、祭儀として9月15日に例大祭が行われます。境内には天保14年(1843年)、政府の命により紙漉きを献上した時の喜びを歌った記念碑「紙漉き碑」(登録有形民俗文化財)や造立が文政7年(1824年)で、都内9番目に古い富士塚があります。
あだち観光ネット>あだちのみどころ発見>千住大川町氷川神社 より

正面入口

鳥居

手水舎

布袋(ほてい)様

拝殿&狛犬

岡崎型狛犬

拝殿内部

本殿鞘堂

先代様


富士塚

富士塚は文政7年(1824)築造。祭神木花開耶姫命。現在地に移築される以前は、町の西北(元宿)川田耕地に、氷川社、稲荷社、浅間社が同じ境内に鎮座していた。
明治44年荒川放水路開削工事開始に伴い、大正5年5月、現在地よりやや西側に移築された。その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和43年6月現在地に移築復元され今 日に至っている。塚は、富士山の溶岩を積み上げ、固めて築造され、高さ約3メートルである。山頂に、天保2年(1831)銘の石祠が安置されている。塔碑が多く、最古の碑は、文政7年(1824)のもので丸藤惣同行富士33度大願成就とある。
この講社は、高田(早稲田)の身禄同行の枝講で、講名を、丸藤千住十三夜同行と呼ぶ。講中は、千住5丁目と、千住大川町全域に及び、かっては、対岸の埼玉県を含む広範囲な地域の農民中心の講社であった。毎年7月1日祭礼が行われる。
平成6年3月 東京都足立区教育委員会

山岳信仰には講がつきものですね。昔は富士山へは簡単にいけませんもね、講の代表(複数名)が行った。

大川富士・天保2年(1831)銘の石祠

紙漉き碑

足立区は、江戸時代から、紙すき業が盛んであり、新編武蔵風土記稿にも、各村の項でそのことがのべられている。この歌碑は、天保14年(1843)6月晦日、幕府の命により、地すき紙を献上した時の喜びの記念碑である。碑文の上部に、永(永続連、同業組合の印)の題字があり、「水無月のつこもりの日公より岳のすき立仰付られる時」という前書きが続く。歌は「すきかえしせさするわさは田をつくるひなの賎らにあにしかめやも」「天保十あまり四とせ癸卯四角斉丸勇」と刻まれている。
紙すきが、稲作にも劣らない仕事であるという 自讃の歌である。台座石に二十一軒の問屋名が記されている。
荒川放水路開削のため、この碑は、大正6年に移転し、再建された。足立の紙すきを物語る貴重な資料である。
平成6年3月 東京都足立区教育委員会

祭具庫

脇入口


三峰神社

御嶽山の記載


子安神社