氷川神社

足立区東伊興2-12-4 (平成26年3月24日)

東経139度47分22.90秒、北緯35度48分07.55秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
東武東上線「竹ノ塚」駅より北へ徒歩30数分の所に鎮座しています。狛犬の台座(平成20年5月吉日)は新しく狛犬の年代は不明です。

御祭神 須佐之男命、大己貴命、櫛稲田姫命

御由緒
氷川神社は、伊興遺跡公園と道一つ隔てた場所の樹々の繋がる森のなかに鎮座しています。当社は「渕の宮」とも呼ばれ、足立区内最古の氷川社であり、往古は渕江領の総鎮守でもあったので、足立区登録記念物となっています。江戸時代に各村々で鎮守が祭られるようになると、氷川神社は伊興村・保木間・竹塚村の三か村の鎮守となります。さらに渕江村から伊興村が独立した1872年からは、伊興一村の村社となりました。神社の祭祀は、かつての伊興村の小西嶋・北根・狭間・早房・横沼・下戸・大西嶋・駅前の8ズシ(小集落)の各ズシから選ばれた神社総代によって神社の諸行事が実施されています。
ブックレット足立風土記 I 伊興地区 (足立区教育委員会) より

当社は足立区内最古の氷川社で、往古、淵江領の総鎮守であった。江戸期に村々の開発がすすむと共に、各地にも鎮守が祀られ、この社は伊興、竹塚、保木間三村の鎮守となり、明治5年からは伊興村の村社となった。
奥東京湾の海中にあった足立区が、陸地化していく過程で、この附近が最も早く陸地となり、大宮台地あたりからの移住者が、武蔵国一の宮である大宮の氷川神社から分霊を勧請したものと考えられている。当時はまだこの周辺は淵が入りくんでいたところから「淵の宮」と呼ばれ、また区内一帯の呼称として、淵江郷、淵江領が生じたものであろう。
付近一帯は、古代遺跡で、弥生式土器、土師器、須恵器、また鏡・曲玉・管玉・臼玉などの祭祀遺物や漁具として土錘、さらに住居趾、井戸跡など生活遺構がたくさん出土しており、伊興遺跡といわれる埋蔵文化財包蔵地を形成している。
昭和57年12月足立区登録記念物 (史跡)とした。
足立区教育委員会案内板 より

正面入口

参道

手水舎

文政二年(1819)の手水鉢

阿邪訶(あざか)大神

拝殿

尻尾の立派な江戸構え。拡大写真はこちら。
(年代不明、台座は平成20年)

奥殿


参道脇の境内社

三峰神社

稲荷神社

浅間神社

浅間神社側面

御神木