内藤神社

国分寺市日吉町4-11-14 (平成29年11月12日)

東経139度27分54.08秒、北緯35度42分14.41秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
西武国分寺線恋ヶ窪駅より徒歩10分程の所に鎮座しています。

御祭神 大山咋命

御由緒
享保十九年(1734)三月近江日吉山王宮を勧請し、明治二年内藤神社と改称した。
北多摩神社誌 より

社地除一段三畝一歩、村の中央にあり、覆屋三間四方、前に石階十五級あり、村内東福寺の持、
新編武蔵風土記稿>多摩郡>戀ヶ窪村>熊ノ野權現社 より

稻荷社 天王社 山~社
皆小祠なり、本社の左右にあり
新編武蔵風土記稿>多摩郡>内藤新田>山王社 より

享保十九年(1734)に近江国(現滋賀県)吉山王宮を勧請して建立された。明治二年(1869)内藤神社と改称され、同八年村社に列せられた。現在の社殿は、明治二十六年(1893)に建てられたもので屋根は昭和五十八年(1983)にトタン葺から銅板に噴替えられた。
祭神である大山咋命は素戔嗚尊の御孫に当り、開拓の神として、又安産の神としても宏く崇敬されている。
境内案内板 より

 当神社は日吉町4丁目に位置する。内藤新田は府中本宿村の内藤治助が享保9(1724)年に割当地を受け、 開発は享保14(1729)年からとされる。
享保19(1734) 年に神社は近江日吉山王宮を勧請し、江戸時代は「山王宮」の名称、明治2(1869)年には内藤神社に改称 された。近世は国分寺が別当、維新後は府中本宿稲荷社、続いて大国魂神社の神職が社務を務めた。
 境内は日吉4丁目交差点から 300m 程北に位置する。鳥居正面に社殿が南面し、南東側に石祠で文政9(1726)年建築の金比羅宮と昭和56(1981)年建築の 社務所、北東に明治13(1880)年の石祠の稲荷社、南西に昭和24(1949)年建築の太鼓堂、北西に昭和35(1960)年建築で石祠の山ノ神が位置する。
 拝殿は明治26(1893)年建築で同年銘の神鏡台も残る。昭和58(1983)年トタンから銅板に屋根を葺替え、平成9(1997)年に本殿覆舎を増築した。
国分寺市社寺調査業務>内藤神社 より

境内案内板

入口

社号標と左側・庚申塔

祭具庫

参道

参道西側の石祠。天王社と山~社か。

参道東側・舞殿と社務所

御神木

金比羅宮

拝殿

奥殿

稲荷神社(明治13年(1880))