熊野神社

国分寺市西恋ヶ窪1-27-17 (平成29年11月12日)

東経139度28分18.96秒、北緯35度42分03.47秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
JR西国分寺駅より徒歩10分程の所に鎮座しています。境内の芭蕉の句碑、見逃した。

御祭神 伊弉諾尊・伊弉冊尊・八百萬神

御由緒
縁起創建不詳であるが、文明18年午5月聖護院道興准后御東行の折「朽ちはてぬ名のみ残れる恋ヶ窪今はた訪ふも知記りならずや」の御歌御奉額が有った。元弘建武の頃新田義貞鎌倉勢と戦の時兵火に焼失した。
応永13年3月再建したが、天正18年また兵火に罹り焼失した。
慶長2年9月再勧請し、寛文10年8月本社を改築した。
延宝6戌午6月代官野村彦大夫、中川八郎右エ門支配の砌社地一反一畝一歩をたまわる。
宝暦13年12月内陣等神殿を造る。
明治6年村社に列せらる。明治10年10月暴風のため社殿倒潰す。
爾後復興に着手し本殿を建て次で拝殿を築き明治16年9月竣功した。
大正12年九月関東大震災の折社殿大破したが、腐朽の個所も多く昭和3年大修繕を行う。
大東亜戦争中昭和20年4月米機の爆撃に遭い社殿大破した。
昭和23年2月復興した。
昭和31年社務所新築、昭和41年11月社殿改築竣功、昭和48年手水舎新築。
北多摩神社誌 より

社地除一段三畝一歩、村の中央にあり、覆屋三間四方、前に石階十五級あり、村内東福寺の持、
新編武蔵風土記稿>多摩郡>戀ヶ窪村>熊ノ野權現社 より

 和歌山県熊野の大神を勧請鎮神したもので、その起源ははっきりしないが、元弘建武の頃(1331)、新田義貞鎌倉勢と戦いの時、兵火に焼失したという。応永年間(1394)社殿再建。文明十八年(1486)五月聖護院道興東行の砌「朽ち果てぬ名のみ残れる恋ヶ窪今はた訪ふも知記りならずや」の御歌御奉額あり。
天正十八年(1590)社殿奉額共に兵火に焼失したという。慶長二年(1597)九月社殿を再建し、再勧請す。
寛文十年(1670)八月社殿を改築す。宝暦十三年(1763)十二月本殿を造営。
明治六年(1873)村社に列せらる。明治四十年(1907)五月、神饌幣帛料を供進すべき神社に指定される。
昭和三年(1928)四月関東大震災により大破した社殿の大修理をなす。
昭和二十三年(1948)二月大東亜戦争により大破した社殿の復旧完成す。
昭和四十二年(1967)社殿改築す。平成七年(1995)社殿改修す。
境内案内板 より

御朱印

境内案内板

入口

手水舎

舞殿

拝殿

鞘殿


拝殿左側

八雲神社 八幡神社
古峯神社 祖霊社

句碑の解説

可尊の句碑

歌碑の解説

聖護院道興准后の御歌の碑