武蔵野神社

小平市花小金井8-26 (平成29年11月26日)

東経139度30分29.67秒、北緯35度43分41.88秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
西武新宿線、花小金井駅より徒歩20分弱の所に鎮座しています。

御祭神 猿田彦大神
東殿(諏訪神社)建御名方命
西殿(御霊神社)郷土の護国命

御由緒
享保7年、谷保村の野中大堅と同族の矢沢藤八らは、武蔵野新田開発願を提出して、全開墾地を12等分してその一つを社地と寺地とすることを決め、享保9年9月3日谷保村から毘沙門天を遷座し、村の鎮守として円成院が管理していた。
明治維新の際、分離独立して末社に祀ってあった猿田彦大神を村の鎮守として祭祀し、社号を武蔵野神社と唱えた。明治41年諏訪神社を合祀し、昭和26年9月23日郷土の護国神を配祀する。
北多摩神社誌>小平市>武蔵野神社 より

村の中央梅街道の北にあり、上屋三間に六間南向、内に五尺四方の祠を置、拜殿は造りかけなり、~體立像にて長一尺二寸許、前に鳥居をたつ、例祭九月三日、村内圓成院持、
新編武蔵風土記稿>武蔵野新田>北野中新田>毘沙門社 より

野中新田開発の際、上谷保村(現国立市)の圓成院住職大堅と矢沢藤八らは、新田開発に当たり全開墾地の12分の1を社地と寺地にすることにしました。
そして、新田開発の基礎ができた享保9年(1724)9月3日、毘沙門天を村の鎮守として上保谷村から遷宮し、圓成院が管理していました。
その後、明治維新の際に末社として祭ってあった猿田彦大神を祭神に、社号を「武蔵野神社」として分離独立しました。例祭は10月3日です。
境内案内板 より

社号標と鳥居、狛犬

参道 振り返って

境内

手水舎

拝殿

鞘殿


猿田彦大神像