熊野宮

小平市仲町361 (平成29年11月26日)

東経139度29分35.67秒、北緯35度43分31.03秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
西武新宿線、小平駅より南へ徒歩15分程の所に鎮座しています。一本榎神社は現在末社殿に合祀されています。

御主神 伊邪那岐大神・伊邪那美大神
相殿神 早玉男神・事解男神・猿田彦神

御由緒
宝永元年九月の創立で、西多摩郡殿ヶ谷村郷社阿豆佐味天神社(延喜式内社)の攝社として、岸村字岸組の地に鎮座してあったが、宮崎主馬氏当村小川新田を開拓するに当り、鎮守の社と定め、一本榎のもとへ遷祀したものである。主馬氏の詠める「繁り合い昼なおくらき一本の 榎の葉末見るもとうとし」しかしこの榎樹は寛保甲申と云う年に至って、枯木となり、由って是を祭祀して一本榎神社と称した。現存する処の榎樹はその孫木である。また相殿の座す猿田彦神(元庚申社)は享保の頃近郷境界に紛擾したことがあり、当時、主馬氏この紛擾を和し、永く境界保全のため庭内社として、享保15年当村の境301番地に奉斎してあったが、明治40年2月28日合祀したものである。明治6年村社に列せられた。
北多摩神社誌>小平市>熊野宮 より

除地、一段餘、小名一本榎にあり、社一間に二間、拜殿三間に二間乾向、前に木の鳥居を立、當村の鎭守にて例祭九月十九日、~主宮崎若狭、社の後に榎の大樹一株あり、この村開發の以前は茫々たる原野なれば、近村の民等秣かりに出たるも、この木を標となして往來をなせしよし、さればこの邊の小名を一本榎と云へり、いつしかこの木もかれて、後亦榎を植繼たれば今は小木なりと云、
新編武蔵風土記稿>武蔵野新田>小川新田>熊野社 より

当宮は、武蔵国多摩郡殿ヶ谷村鎮座の延喜式内社・阿豆佐味天神社の摂社として、同郡岸村字岸組に産土神と奉斎されていた社を、小川村の開拓に着手した小川九郎兵衛と、阿豆佐味天神社の神主で当宮社家の始祖である宮ア主馬が、寛文年間に小川村名主の屋敷内に遷祀し、その後小川新田(現在の仲町、喜平町、学園東町、学園西町と上水本町の一部と上水新町)の開拓を行うのに先立って、その守護神として宮ア主馬が宝永元年(1704)に榎の大樹のもとに祠を建立し遷座したのが縁起である。
以来この地域の鎮守の社として崇敬を集め、平成十六年(2004)に御鎮座三百年を迎えた。
境内案内板 より

青梅街道に面した大鳥居

入口

神門

絵馬掛所&おみくじ掛

境内

境内入口の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(年代不明)

手水舎

拝殿

本殿覆屋


末社殿

一本榎神社他

神輿太鼓舎
太鼓 神輿

境内社

初代武蔵野乃一本榎跡 三代目武蔵野乃一本榎