稲荷神社

小平市大沼町7-2-1 (平成29年11月26日)

東経139度30分01.79秒、北緯35度44分01.57秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
西武新宿線、小平駅より徒歩15分程の所に鎮座しています。境内の「結講百伍拾周年記念碑」を見ますと昭和59年(1984)年建之となっています。1833年から39年まで続いた(36年までと定義する説もある)天保の大飢饉の真っ只中。
※天保の大飢饉についてはウィキペディアを参照しました。

御祭神 倉稲魂命

御由緒
元文元年大沼田新田開発に当り、西多摩郡加住村今寺から当村泉蔵院内へ勧請、明治元年現在の地に遷座されたものである。
北多摩神社誌>小平市>稲荷神社 より

本堂の西の方にあり、覆屋六尺四方、中に三尺に一尺の祠を置、正一位稻荷・今寺稲荷・山王の三~を相殿とす、~體はなし、拜殿三間に二間南向、前に鳥居をたつ、村内の鎭守なり、
新編武蔵風土記稿>武蔵野新田>大沼田新田>(泉蔵院の項)稲荷社 より

大沼田新田は、享保9年(1724)武蔵国入間郡大岱村(現東村山市恩多町)の名主當麻弥左衛門の願いによって、開発を許可された村請新田です。元文元年(1736)多摩郡今寺村(現青梅市今寺)から名主弥左衛門が稲荷社を勧請し、泉蔵院内に社を建てて村内の鎮守としました。
宝暦3年(1753)と弘化5年(1848)には、山城国紀伊郡の稲荷本宮(現京都市伏見稲荷大社)より安鎮証紙を交付せられ、正一位の位を授けられました。明治元年(1868)に現在地に遷座し、明治6年(1873)には村社に列せられました。
境内案内板(小平教育委員会・小平郷土研究会) より

神社入口

入口左右の岡崎型狛犬

境内

手水舎

拝殿

お狐様

本殿覆屋


境内社 結講百伍拾周年記念碑

150周年の解釈は150年目、151年目の二通りあるとのこと、講が結成された年は逆算すると1835年か1834年。
地域共同性を測る指標の一つに講組織がある。講とは、宗教的なものから金融的なものまで幅広い。小平をはじめとする武蔵野に存立した代表的講をあげれば、念仏講、頼母子講(たのもし こう)、御嶽講、榛名講、大山講、三峯講、秋葉講、古峯講などがある。
中略
緊急を要する神社参拝もときにはある。干ばつである。武蔵御嶽神社への参拝は、多くはこのときであった。日照りがつづき、作物が枯れるなどの被害が出はじめると、集落の若者が御岳山に雨乞祈願に出かけたのである。二人一組で早朝に出立、武蔵御嶽神社に参拝後、宿坊で一泊、翌日は七代の滝(ななよのたき)で神水をいただき、一目散に集落まで戻ってくる。途中、後ろを振り返ってはいけないなどの禁忌があった。もちろん神水をこぼすことなどは許されない。一心不乱に帰村し、神社に神水を供えたあと、神水を堰き止めた用水路に流す。そこに若者が飛び込み、六根清浄を唱えながら水を掛け合う。すると不思議に、空に暗雲が垂れ込め、雨が降り出したという。
感謝の気持ちの表れは、武蔵御嶽神社に奉納された多くの講碑にも見られる。小平関係では大沼田の「表講中」のものが、山門近くに建立されている。見ていると、かつての農家の人々の苦労が偲ばれ、胸を打たれる。
小平市公式HP>くらしのガイド > 市政情報・相談 > 市の紹介 の中の 歴史・文化> 市史編さんこぼれ話No.21 「御嶽講と講碑、そして愛犬祈願」 より

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