熊野神社

八王子市兵衛2 (平成29年5月18日)

東経139度20分04.17秒、北緯35度37分21.19秒に鎮座。

この神社は、JR横浜線・八王子みなみ野駅の南600m程の辺り、傾斜地に立ち並ぶ住宅街に鎮座しております。

宇津貫「熊野神社」の由来
熊野神社に関する記録はあまり多く残されておりませんが「新編武蔵風土記稿」によると同地は「第六天社」として紹介されています。
境内には、寛延四(1751)年に建てられた角石塔や、明和二(1765)年に造られた狛犬の像があります。これらにはいずれも「奉納第六天」の文字が刻まれており、この頃すでに「第六天社」があったことがうかがわれます。
また、神社の宝物として今に伝わる麻布の幟(のぼり)には、寛政十二(1800)年二月「奉納赤山大明神御宝前 村中子ども安全」と記されており、「第六天社」と同時に「赤山大明神」も合祀されていたことが分かります。
神社の古文書が収納されている箱の表書きには「大六天」「赤山大権現」と並び「熊野大権現」「津島牛頭天王宮」との記載があります。現在の社殿に掲げられた「熊野宮」という扁額の裏には「于時 文政八(1825)乙酉年七月吉日 氏子中」と記されています。
熊野の神と牛頭天王は共にスサノオノミコト(素戔嗚尊)のことであることから、この文政年間に共に祭祀されたものと思われます。
これらから当神社は、江戸時代中期ごろ「第六天社」と「赤山大明神」を祭祀し創建された後、江戸時代末の文政年間に「熊野宮」と「牛頭天王宮」を合祀し、以後「熊野神社」と総称しているものと思われます。
拝殿は、古文書によると安政三(1856)年から文久元(1861)年にかけて改修・遷宮が行われたものと推察されます。
境内由緒書き より

参道入口

神額

参道

参道脇の石仏

拝殿

由緒書きに登場する狛犬はきっとこの狛犬でしょう。拡大写真はこちら。
(明和2年(1765)建立)

拝殿内部

本殿覆屋

本殿

左右の脇社

「ラッパイチョウ」国内で十数本しか存在が知られていないイチョウの変異種。