八雲神社

府中市分梅町1-18-5 (令和元年11月17日)

東経139度28分03.99秒、北緯35度39分54.31秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
JR、京王「分倍河原」駅より徒歩10分程の所に鎮座しています。新田義貞が鎌倉幕府に反旗を翻した「分倍河原の戦い」の「分倍河原」が駅名に。駅前ロータリーには新田義貞像の像がありました。

御祭神 素盞嗚尊

歴史
当天王宮八雲神社は、古くは天王宮と称され祭られて居ました。
明治初期の神仏分離令により当祭神は、神仏習合とみなされて八雲神社として改号されましたが、今日も分梅(分陪、分倍、分配)地域の鎮守様として多くの方達の心の拠り所として慕われ祀られてきております。
天王宮の祭神は牛頭天王、八雲神社の祭神は素盞鳴尊でありますが合祀されております。
当社の創設年は未詳であるものの、分梅通り(陣街道、古鎌倉街道)に面した境内の東北角(社地)には、元応元年(1319)の木に抱かれた石板碑、享保9年(1723)9月に祭神像、安永7年(1778)に石造の鳥居等が現存しております。・・・・
境内由緒書き より

分倍河原の戦い
室町時代後期の享徳4年(1455年)1月21日・1月22日に、武蔵国多摩川河畔の分倍河原(現在の東京都府中市)において、足利成氏率いる鎌倉公方勢と上杉顕房率いる(総大将は在京の上杉房顕)関東管領勢との間で行われた合戦である。
この戦いをきっかけに応仁の乱と並んで室町時代最大の戦乱といわれる享徳の乱の幕が開かれる事となった。
上杉顕房、武蔵国分倍河原の戦いにおいて敗北、自害した。
ウィキペディア より。

神社入口

鳥居

拝殿と狛犬

(当所 糸屋七代 小澤静男 平成20年(2008)12月吉日建立)

左右の木鼻
戯れる狛犬

拝殿と本殿覆屋

本殿


境内より、JR南武線。