布多(ふだ)天神社

調布市調布ヶ丘1-8-1 (平成28年2月27日)

東経139度32分55.56秒、北緯35度39分12.54秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
京王線調布駅北口より徒歩5分(当社しおり、より)に鎮座しています。暖かい土曜日、人出が多く写真撮影は苦戦しました。

最近はテレビでパワースポットとして紹介され、境内の「御神牛」はそのパワーをいただこうと毎日多くの人が撫でるため鼻がピカピカになっています。また、境内には調布市内で最も古い狛犬もあります。
なお、「墓場鬼太郎」第5巻「おかしな奴」という話の中で、神社の奥の雑木林に鬼太郎が住んでいるとされています。

御祭神 少名毘古那(スクナビコナ)神・菅原道真命

御由緒
当神社は延喜式(第六十代醍醐天皇の延長5(927)年に制定された法典)第九巻に名を列ねる多摩郡でも有数の古社である。もと多摩川畔の古天神というところにあったが、文明(1469〜87)年間多摩川の洪水を避けて、現在地に遷座された。その折、祭神少名毘古那神に菅原道真公を配祀したと伝えている。
社伝によれば往古、広福長者という人が当社に七日七夜参籠して神のお告げをうけ、布を多摩川にさらし調えて、朝廷に献った。これが本朝における木綿の初めとされる。帝この布に調布(テツクリ)と名づけられ以来この辺りを調布の里とよぶようになったという。
本殿は宝永3(1706)年、覆殿は昭和40年、幣殿拝殿向拝は昭和60年の造営にかかる。(社殿約72坪)。
毎月二十五日の例祭日に奉納神楽があり境内は市がたち参拝者で賑わう。末社に金刀比羅神社、稲荷神社、御嶽神社、祓戸神社、疱瘡神社、大鳥神社、厳島神社がある。
境内案内板 より

社地除、6段9畝20歩、上宿の北裏にあり、此神社は當郡の古社にて、【延喜式神名帳】に多磨郡布多天神社あり、相傳ふ祭神少彦名命なりと、古は村内今の古天神と云へる所にありしに、文明の頃多磨川関崩るによりて、今の地へ遷せり、其の時初て菅神の像を配祀す、故に今の神體は菅神の木像にて、長1尺許なり、縁起ありて貞應2年(来戸注、1223年)の撰述のよしをいへど、記す處妄誕にして、その頃のものともみえず、但其の中調布の濫觴をいへることみえたり、是又さだかなりがたき説といへども、姑く其略をつんでこゝにのすと云、桓武天皇延暦18年(来戸注、799年)、木綿の實始めて渡りしなれど、いまだ布に製することをしらず、其時多磨川邊に菅家の所縁にて、近國に名を顕はせし廣福長者といへるものあり、天神の社へ七晝夜参籠して、不思議に神の告を蒙り、布を製するの術を得て、多摩川にさらして、これをとゝのへて奉つりぬ、是乃本朝木綿の初なりとかや、帝御感浅からず、即ち其布を調布とのたまへり、それより此邊武州調布の里といへり、後に廣福長者の末孫菅原を修して、原永法となのり、この處にありしに、後菅神の肖像を造立して、布多天神に配祀せり、永法後に発心して、永法坊と改め、草庵を結て両社の守りをなし、年月を送ける所に、永延年中に院號を下されて、廣福山常行院永法寺と號し、別當となしたまひしといふ。此社傳と口碑に傳ふる所と、年代合はず、されど今より考ふるによしなし、必ずあやまりあるべし、社地の外免田3段1畝9歩。免畑1段23歩あり、當社は上下布田・小島分・國領・上給・矢ヶ崎等の村々鎮守にて、例祭年々9月25日。その外毎月25日月並の祭禮あり。本社2間に4間、拝殿4間に2間、石の鳥居あり、鳥居の西邊に制札をたてり、これは太閤秀吉のあたへしものにて、其文左のごとし。・・・・
新編武蔵風土紀稿 より

御朱印

神社入口

手水舎、社殿は右側。

御神木

境内

小顔で堂々とした江戸尾立。拡大写真はこちら。教育委員会の説明はこちら。
(寛政8年(1796)建立)

梅の花

拝殿

神額

内部

本殿覆屋


金毘羅神社・大鳥神社

手水舎&厳島神社

社殿&狛犬

素朴な江戸流れ。拡大写真はこちら。
(明治16年(1883)9月建立)

稲荷神社

左より、御嶽神社・祓戸神社・疱瘡神社。

神楽殿

当社にお住いの、ゲゲゲの鬼太郎。

表参道の天神通りにも妖怪達がいらっしゃるようです。また、水木しげるさんが住んでいた境港には妖怪神社があります。