糟嶺(かすみね)神社

調布市入間町2-19-13 (平成28年11月3日)

【神社情報・来戸さんより】
京王線「つつじヶ丘」駅より南へ徒歩約20分程の所に鎮座しています。しかし駅からの道は複雑です。苦戦しました。

御祭神 糟嶺大神(かすみねのおおかみ)

御由緒
村内の鎮守なり、本社南向、纔(わずか)に三尺五寸四方、~體木の立像にて束帶なり、本地十一面觀音は明照院の地内に置り、本社には三間に三間の上屋をなせり、社頭には古松立り前に二十九級の石階を設く、當社鎮座の始はたしかに傳へされど、寛永六己巳年九月廿九日と記せる棟札あり、この頃の鎮座なりや、もしくは古棟札をば失ひて、此時の再建なるや、今よりしるべからず、例祭九月なり、村内明照院の持、末社 天満宮 稲荷祠 纔なる祠にて、何れも本社の右にあり、(現在は本社の左にあります)
新編武蔵風土紀稿>世田ヶ谷領>入間村>糟嶺明~社 より

当社は武蔵国多磨郡的矢荘入間村の守護神で村人の厚い信仰を受け神威を現していた、往古は墳陵の下に祀られていたが、宝暦戌寅(つちえのとら)年に現在地に遷座し毎年九月十八日神前にて、十二座の神楽の奉納があった、この社地は多摩郡の内四つの墳陵の一つで、古老ここを丸山と称し高さ二間一尺(四、二九米)根廻り七十六間余(約一五〇、四八米)あると明治二年の的矢荘入間郡神社上に記載されている。尚、明治八年五月村社に列せられた、亦この社地周辺の小字名を古より陵山と称していた。
境内案内板 より

創建年月は不詳であるが、往昔多摩郡の内四つの墳陵の一つといわれ、社地は高さ二間一尺、根廻り七十間余の墳陵の上にある。しかし往昔は、墳陵の下にあったが宝暦八戌寅年墳上に引移したと伝わる。明治六年十二月村社に列せられた。。
北多摩神社誌 より

参道入口

参道

参道途中の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(安政6年(1859)己未正月建立) 多摩群入間村伊勢太々講(だいだいこう)中二十九人

参道

手水舎

拝殿

右側

右側

左側

本殿

末社・左より天満宮・稲荷社・稲荷社