青渭(あおい)神社

調布市深大寺元町5-17-10 (平成28年2月27日)

東経139度33分22.37秒、北緯35度39分50.37秒に鎮座。

【神社情報・来戸さんより】
当神社へは調布駅北口より、バス「吉祥寺駅」行き又は「杏林大学病院前」行きに乗車、「青渭神社前」下車すぐ。三鷹通り(武蔵野市武蔵野中央交差点と調布市布田駅前交差点を結ぶ一般都道)に面してる。

御祭神 水波能売大神・青沼押比売命

御由緒
当社の創立年月日は不詳であるが、往古(三千年から四千年以前)先住民が水を求め居住した際、生活に欠くことの出来ない水を尊び、祠を建て水神様を祀ったと伝えられている。
ご祭神は水波能売大神・青沼押比売命、一説に社前大池に棲む大蛇を祀ったともいわれる。神社明細帳等によれば、当社は第六十代醍醐天皇の延長5年(927年)に編纂されて『延喜式』所載、武蔵国多摩郡八座の内にて官祭の重き御社であったと伝えられる。往古は社前におよそ五町歩余の境内地があり、大池にこんこんと湧き水あり、青波をたたえていた所から青波天神杜とも称された。池水は干ばつの折も枯れる事無く、田用水等に用いられたといわれる。周辺は武蔵野文化発祥の地であり、清水の湧き出る所、人々の生活と密接な関連があったと考えられる。青渭・青波共に水の意であり、「渭」とは広遠に波立つ様をいい水面に波を打ち寄せる意で、水神様を祀った古社である事は疑う事はできない。明治6年12月郷社に列せられた。以下省略
境内案内板 より

深大寺より東の方三町ばかりにあり、こゝの字を池の谷戸と云、鎭座の年代を詳にせず、土人云、往古社地に池ありしが、青波たちて社前に至りしゆへかく號すと、此説は浮たることなり、又云これ式内にのする渭の神社なりと、されど青渭神社は郡内深井村にある社是なりと云ときは、当社は恐くは式内にてはあらざるべし、波の字渭と相近きにより、かゝる附會の説おこりしにや、社は僅なる祠にして東向なり、傍に圍一丈五尺あま
りの槻の老樹あり古き勸請なることは疑ふべからず。
新編武蔵風土紀稿>府中領>深大寺村>青波天神祠 より

神社入口

御神木ケヤキ

境内

阿吽共に子狛を抱いた江戸流れ。拡大写真はこちら。
(明治13年(1880)10月吉日建立)

手水舎

拝殿

鞘殿