忌部(いむべ)神社

徳島市二軒屋町2−48(平成19年3月28日)

 この神社は眉山南東麓に鎮座しています。国道438号線の西側に参道入口があり、直登の階段が参道になっているようですが、私達は金比羅神社脇の階段から上りました。階段嫌いの私は途中から右手に続く旧参道?の脇道に入りましたが、この道は変わり種狛犬がいたり、土俵があったり、桜や可愛いお花が咲いていたりと、喘ぎながらの階段登りよりもずっとお薦めの道です。
 式内・忌部神社は長く所在不明となっていたため、明治時代に忌部神社論争が起こり、山川町の山崎忌部神社と貞光町の五所神社が正跡を争いました。その妥協策として徳島市の眉山中腹に社地が求められ、明治20年に遷座祭を行って新たな忌部神社が発足、五所(御所)神社は新しい忌部神社の摂社となり、山崎には忌部神社が再興されています。


 御祭神:天日鷲命
 祭日:例祭10月19日・鷲替え神事
 摂社:五所神社(美馬郡貞光町西端山吉良鎮座)
 境内社:稲荷神社他
 由緒:古天日鷲命は、穀木(かじ)麻を植え製紙製麻紡織の諸業を創始され特に天照大御神が天の岩戸にお隠れになった時、白和幣(しろにぎて)をつくり神々と共に祈られ天の岩戸開きに大きな功績を挙げられた。
 その子孫は忌部と称し国家祭祀の礼典を掌り、神武天皇の御代阿波国に下りこの郷土を開拓し代々朝廷に荒妙御衣(あらたえみそ)(穀木、麻で織る)を貢上し、それは大嘗祭の用に供された。
 このように天日鷲命を奉祭する忌部神社は忌部族すなわち徳島県民の祖神を祭り古来阿波の国総鎮守の神社として朝野尊崇篤く延喜の制には官幣大社に列せられ、且つ名神祭の班幣に預かり(名神大社)西国随一の格式の大社として、四国一宮とも称せられた。
 文治元年源義経八島合戦のみぎり太刀一振を奉納、那須与一は弓矢を奉納、更に文治3年源頼朝御供料として田畑一千町歩を寄進したしたことが伝えられている。
 当社は中世以降兵火にかかり久しくその社地が不明であったが明治4年国幣中社に列せられ、明治7年その所在地を麻植郡山崎村とされたが、同14年美馬郡西端山村に遷祀、さらに明治18年徳島市の金刀比羅神社へ仮御遷座、同20年現在地に新社殿成り奉遷鎮祭し奉った。
 昭和20年、戦災のため社殿をはじめ主要建物をほとんど焼失し、現在の本殿は昭和28年拝殿は昭和43年に復興されたものである。(平成祭データより)

北参道入口 北参道から右に入る脇道
(旧参道?)
脇道に居た変わり種狛犬。
長い耳垂れで髭を生やしています。
獅子鼻はぺちゃんこで、鬣はネックレスのように
首の周りを取り囲み、ほぼ垂直に座っています。
前脚が折れていなければ完璧なのですが…。私好みの狛犬です。
脇道に咲いていた清楚なシャガと可憐なスミレのお花
脇道に咲いていた蜂須賀桜 境内前の参道の様子
大阪の石工さんが安永4年(1775)に彫った狛犬です。
純粋な浪花狛犬とは違い、穏やかな感じがします。
吽には小さな角があり、耳を伏せた一寸ブーちゃんです。
阿は話が良く聞こえるように?耳を立て穏やかに前方を眺めています。 
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・大阪炭屋町 村内五兵衛 安永4年(1775)3月建立)
境内入口 拝殿
拝殿内の様子 本殿
境内社・稲荷神社と?神社 境内脇から良く見える眉山山頂
稲荷神社の可愛いお狐さん