徳島縣護國神社

徳島市雑賀町東開21-1 (平成25年1月6日)

東経134度33分54.50秒、北緯34度02分13.85秒に鎮座。

この神社は、市内でも港に近い南側、多々羅川と勝浦川に挟まれた雑賀町東開に鎮座しております。「東開」とは東に開かれたという意味でしょうか。埋立地のようなだだ広いなか、境内も広く、明るく開けた雰囲気の神社となっています。

昭和13年11月招魂社として創建せらる。昭和14年勅令により徳島縣護國神社と改称した。昭和20年7月大東亜戦争に於ける戦災により社殿炎上せらる。昭和33年4月再建の志成り本殿遷座?????・・・・・・
境内由緒書き より

由緒
1879年(明治12年)9月、眉山公園に招魂社として創建された。1906年(明治39年)4月、徳島中央公園の徳島城跡に遷座。1939年(昭和14年)4月、徳島縣護國神社と改称する。
1945年(昭和20年)7月、徳島大空襲で社殿等灰燼に帰した。1958年(昭和33年)再建される。1978年(昭和53年)には御創社百周年記念として境内整備事業が行われた。
しかし、神社の境内が徳島市からの借地である上、史跡文化財保護地区のため諸問題があり、神社を移転することとなった。2000年(平成12年)徳島市雑賀町在住の篤志家・川ア阿佐惠氏が社地を寄進。本殿・社務所を新築、拝殿・手水舎・慰霊碑等を移設し、2003年(平成15年)9月に遷座した。
ウィキペディア より

参道入口と一の鳥居

神額と社号標

参道

新手の出雲構えか、前脚は何処に?
(昭和54年(1979)5月吉日建立)

二の鳥居

三の鳥居

拝殿

神額

本殿


大國神社

祭神 大國主大神
当社は三好郡池田町出身の川崎阿佐恵氏が此地に昭和53年月映神座を奉斎しその後、昭和53年3月26日出雲大社より御神像を拝戴して此の大國神社を創建する。
縁結び商売繁盛、薬祖の神隠り世の神”だい黒さん”として県下に多くの崇敬者有り。
境内由緒書き より


月映神座


軍馬之霊・関東軍防疫給水部孫呉支部戦友会・桜飛会徳島戦没者慰霊碑

硫黄島戦没者之碑

比島(フィリッピン)戦没者の碑

太平洋戦争における比島戦没者の内、本県出身者の多くは首都マニラの東部に位置する山岳地帯で散華されました。昭和54年徳島県遺族会が主催した第2回比島戦跡巡拝団によって戦没地の山々が望めるアンチポロの丘陵地に鎮魂の碑を建立しました。
しかし、時代の経過の中で碑の建立地周辺が市街化によって慰霊環境の悪化が進んだため、鎮魂碑を平成16年に日本に持ち帰り、当護国神社境内に再建立しました。

慰霊碑

戦友よ父よ夫よ兄弟よ、墓標なき千尋の海にさまよえる御霊よ、此の地に帰りて安らかに眠り給わん事を心から祈る。徳島船砲会