春日神社

徳島市眉山町大滝山1 (平成25年1月7日)

東経134度32分43.31秒、北緯34度04分08.00秒に鎮座。

この神社は、徳島市のシンボル眉山の北東山麓に鎮座しております。眉山を背にするように建っているため大変景色の良い神社となっています。又、十二社詣りの一社でもあります。

御祭神 武甕槌命・斎主命・天児屋根命・比賣神

眉山の麓、大滝山に鎮り坐す春日神社は、奈良に坐す春日大社の御分社であり、御祭神も同じ四柱の神々である。
慶長年間藩祖蜂須賀家政公が渭の津に築城の際名西郡入田の里より神霊を奉還、鎮祭し奉ってより徳島城下町の総氏神として、歴代藩主を始め上下の崇敬篤く明治初年には県社に列せられた。・・・・・・・・・
境内由緒書き より

大和国春日社領の富田庄(阿波国名東郡入田村(現徳島市入田町)一帯)に勧請された春日祠に起源を有つといい、蜂須賀家政の阿波入部に際して現在の大滝山東麓(眉山町大滝山1)に遷座されたと伝えるが(文化12年(1815年)の『阿波志』)、一説に天正14年(1586年)の家政による徳島城築城と共に、城下の鎮守として名東郡田宮村から迎えられ、同村から共に遷された勝福寺(通称春日寺)を別当寺とするようになったともいう(昭和48年(1973年)の『徳島市史』)。慶長年間(16世紀末から17世紀初)に蜂須賀氏が徳島藩主となって以後、「春日大明神」と称して歴代藩主からの崇敬を受け、祭祀料として毎年供米10石が春日寺充てに寄進されたという。
明治6年(1873年)に現社名に改め、県社に列せられた。境内には眉山湧水群のひとつ春日水がある。周辺には三島神社、諏訪神社がある。
ウィキペディア より

神社のすぐ前は寺町といって、様々な寺院が集っています。その中に勝福寺は見当たらないので廃寺となったようです。

神社入口

鳥居と神額

参道

拝殿

石段上部左右の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
鳳凰、龍と狛犬。

拝殿内部

本殿


豊玉比賣神社

豊玉比賣神社の御祭神は天石門別豊玉比賣であります。此の神は「古事記」神代記物語中、実に多くの頁を費やし、種々の寓話を述べられている大女王です。それにまた神武天皇の出生に連なる山彦、海彦をも記しています。わが国天皇家生の歴史はこの海神族の大女王を無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現・脇町)の住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国などと称され、発言を封じられていた阿波国ですが事実の前にはさからえなかったのでしょう。醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名帳では、日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。日孁命と同様、天石門別豊玉比賣が豊日孁命の殯宮、同じく式内社綿津見豊玉比賣神社が「古事記」海幸彦、山幸彦の物語に出てくる龍王宮の宮殿跡を社地として祀られています。
わが国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王の神名の上に天石門別と延喜式で記されています。はるか太古、神々の物語時代(高天ヶ原時代)から天石門の外界に現われたの意味で、この神より後人皇の歴史となってきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが日孁命、豊日孁命であることが歴然としています。

社殿

豊玉比賣神社を護る可愛い出雲狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和10年(1935)9月建立)

若宮社・秋葉社

手前の出雲狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和34年(1959)12月吉日建立)
奥側の浪速狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)

地神社参道入口

地神社
地神社を護る出雲狛犬。拡大写真はこちら。
(文久2年(1862)壬戌2月吉日建立)

稲荷社


春日会館

現役を引退、春日会館入口の出雲狛犬。拡大写真はこちら。
(明治4年(1871)9月吉日建立)