徳島県

 四国の東部を占める徳島県は、四国の東部に位置し、北は香川県、西は愛媛県・高知県と接し、東は紀伊水道を挟んで和歌山県と向かい合っています。山地が多く、四国第2の高山である剣山(標高1.955 m)を分水嶺として、その北を流れる吉野川は水源が高知県にあり、徳島県に入って全国的にも有名な大歩危・小歩危の深い峡谷を作り、池田町から東に流れて、くさび形の徳島平野を形づくっています。分水嶺の南斜面山地は豊富な森林地帯となっており、山地が直接海にせまった岩石海岸となっているところもあります。
 古代、忌部氏が、吉野川流域を開拓したとき、粟がよく実ったので、この地域を「粟の国」といい、一方南の勝浦、那賀、海部三郡のあたりを「長の国」というようになったと伝えられています。大化の改新の頃、これらの国を併せて初めて「阿波の国」と呼ぶようになったそうです。中世、鎌倉時代には、佐々木氏、小笠原氏、細川氏等が支配し、やがて土佐の長宗我部元親が四国を征しましたが、豊臣秀吉に敗れたため蜂須賀家政が阿波に封ぜられ、その後、江戸時代の約300年の間この地は蜂須賀家の所領として安定した経済状態の下、政治・文化の花が開きます。この時家政は名東郡山分(現在の徳島市一宮町)に一宮城を築城し、この地が吉野川の三角州に開かれた町であることから、これに美称の「徳」を付けて「徳島」と改称しました。
 明治2年の版籍奉還により、阿波・淡路2国だった阿波藩は、淡路の津名郡を除き徳島藩とされ、明治4年の廃藩置県で徳島藩が徳島県となります。同年11月15日には淡路の津名郡も含めて阿淡二国は名東県と改称され、翌年6月には旧讃岐国の香川県を併合し、明治8年の香川県再置まで、阿淡讃を管轄しました。名東県は明治9年に廃止となり、淡路は兵庫県へ、阿波は高知県に併合されます。その後、明治13年に徳島県が再置されて現在に至ります。

 県の花:スダチ
 県の木:ヤマモモ
 県の鳥: シラサギ
(徳島県庁HP参照)

徳島市西大工町・三島神社の狛犬
伝承久3年(1221)建立で徳島県最古の参道狛犬です。