伊射奈美神社

美馬市美馬町中鳥589 (平成29年12月23日)

東経134度00分49.01秒、北緯34度02分21.04秒に鎮座。

この神社は、JR徳島線・阿波半田駅の西2km程の辺り、中鳥の街外れに鎮座しております。

御祭神 伊弉冉神・速玉男神・事解男神
合 祀 天照大神・素戔嗚尊・大山祇神・猿田彦大神

由緒
神社の創祀は不詳、神話時代の創建とされる淡路、伊佐奈伎神社と同時期と考えられ、伊邪那美尊は国土産みを終え、神陵の地、阿波国美馬郡中鳥、伊射奈美神社を建てられ。阿波の神々の中で、最も格式の高いのは、貞観11年〔869〕阿波国伊射奈美神社正五位の神階を賜う。伊邪那美尊を単独神として祀る全国唯一の神社として、延喜式神名帳に登載される最も格式の高い古社。阿波の美馬郡は古くから田畑の豊饒を祈願、古代の水の神として穀霊、穀神信仰、母神崇拝の稲作にゆかりの霊格の中心地。渡来人の法道仙人が伊宇摩山仏母寺を中鳥に建立開基、奈良時代、神社に付属の寺を聖武天皇勅命により忌部神宮寺と寺号を改め、文治3年〔1187〕神社再建した社殿戸扉に、神代自古御鎮座、伊射奈美尊神社と記す、本殿箱棟に神文十六菊御紋あり、古昔最も盛大なる神詞にして美馬、三好の総鎮守として伝える。戦国動乱の時代、天文年間〔1532〕三好長慶の祈願所として綾地の御先幟を献納。元和3年〔1617〕蜂須賀候祈願の為黒昔幟、甲冑二領奉納、家老稲田稙元祈願の為長刀を奉納。室町時代の後期、中鳥城主に、元亀元年〔1570〕浅野但馬守。安土桃山時代天正年間〔1573〕久米刑馬亮拠る。後に前田京本入道が城主。神社再興の、正徳三年〔1713〕享保16年〔1731〕棟札保存。戦国から江戸時代、天文〔1532〕から明暦〔1655〕年間に、中鳥村三百有余の人家があったとされ、享保11年〔1726〕大洪水で吉野川南岸から切り離され川中島となる。明治5年9月官制による神社分類で伊射奈美神社は村社に任ぜられ、明治8年神社建替え戸扉に神代自古御鎮座、式内村社伊射奈美神社とあり、社殿に保存。昭和9年6月1日中鳥は半田町から分離、重清村へ合併。昭和61年〔1986〕建設省が吉野川洪水時の浸水被害を防ぐため、西村中鳥堤防工事で用地買収、63年に28戸移転、神社は平成4年10月7日現在地に拝殿、神殿を新築落成し御鎮座。
境内由緒書き より。

神社全景

神社入口

親柱に乗る狛犬

境内入口の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(明治27年(1894)3月吉日建立)

拝殿

拝殿内部

本殿