熊野神社

阿波市土成町高尾熊の庄15 (平成25年1月7日)

東経134度23分05.94秒、北緯34度06分58.56秒に鎮座。

この神社は、徳島自動車道・土成ICの東2.5km程の辺り、高速道路と吉野川に挟まれた平野の北側に鎮座しております。

主祭神 伊弉那美神・速玉男神・事解男神

由緒勧請年代は詳かではないが当社の氏子区域は南北朝時代には日置庄とよばれ、天授五年(1379)に後亀山天皇が祈祷のため紀州の熊野新宮に寄進された。そのため日置庄に紀州熊野新宮の御分霊を祀る社が散在していた。即ち上板町七条に本宮、吉野町五条に新宮、同町西条に那智の分霊を祀る社があり、領民氏子の尊崇をあつめた。永禄三年(1560)七条、五条、西条の各城主が宮川内谷川の水害をさけるため、これら社を当社に合祀したと云ふ。「阿波志」によれば七条城主、七条兼仲公の創祀にかかると記されている。明治五年(1872)熊野権現を熊野神社と改称し郷社に列せられた。
境内由緒書き より

後亀山天皇(ごかめやまてんのう)は、南北朝時代の第99代天皇にして、南朝最後の第4代天皇(在位:弘和3年/永徳3年(1383年)冬 - 元中9年/明徳3年閏10月5日(1392年11月19日))。諱は熙成(ひろなり)。 北朝を擁護する将軍足利義満が提示した講和条件を受諾して、三種の神器を北朝・後小松天皇に伝えて譲位し、南北朝合一を実現した。
ウィキペディア より

社頭

鳥居 神額

狛犬と神門

参道左右の阿波狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
随身さん
屋根上の飛び狛

更に続く石廊下

横から

拝殿

拝殿内部

本殿


末社

狛犬と言うよりコマザウルスか。拡大写真はこちら。
(年代不明)
石祠

社日