金刀比羅神社

阿南市福井町土佐谷3(平成19年3月29日)

 この神社はJR阿波福井駅の北東約500m、松琴山山頂に鎮座しています。私達は駅から近い裏参道から参拝させて頂きましたが、本来の表参道は北東方面から続いているようです。裏参道脇には自然林や、清々しい雰囲気の竹林が続き、遠く江戸時代から護られてきた鎮守の杜が、そのままの姿で残っているようです。県下最古の神社建築といわれる社殿も素晴らしく、例祭日以外は静かな雰囲気の、落ち着いた佇まいの神域です。
 又、この日は神主さんが草むしりをしていらして、私達に社殿の案内や子供神楽のお話をして下さり、有り難くも「災い除けの黄色い塩」や「身代わり人形」を下さいました。その節は本当にありがとうございました。

 御祭神:大物主神、顕節姫命、素盞嗚尊
 祭礼日:旧正月10日、11月第一日曜日
 境内社:後世神社、八坂神社
 由緒:江戸時代・元禄9年(1696)の棟札があり、讃岐琴平の金比羅大権現の分霊を勧請し、 市内福井町古津に祀ったのが起りで、享保元年(1716)現在地に遷座して 社殿を造営しました。現在の社殿はその折の建立で、本殿は素晴らしい彫刻の施された流造で、弊殿と拝殿は入千鳥破風入母屋造りで、三ツ斗組手法を取り入れた変形権現造り、県下でも貴重な古い神社です。古文書によると、「下福井在、七郎兵衛なる住人、元禄二年、十六歳のときより、享保元年まで讃州金刀比羅大権現へ月詣せりと、人呼んで「こんぴら七郎兵衛」と愛称せしほどなり・・・・と。その七郎兵衛、満願の日、別当金光院にて、かつての(崇徳上皇)愛用の硯石を賜る。神社の起源はその由緒にはじまるものである。」とあり、以上の伝記は大正13年、神社関係者、郷土史家によって七郎兵衛の生家の破れ古びた襖の下張りから発見されたものです。
 (金刀比羅神社公式HP参照)

表参道の階段 鳥居が見えました。
もうすぐ境内です。
慶応6年(1870)、実際は明治3年生まれの浪花系狛犬です。
端正な良いお顔で、体格もバランスの取れた造りの良い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(慶応6年(1870)10月吉日建立)
手水舎と境内の様子 拝殿
享保元年(1716)建立の、
入千鳥破風入母屋造りで、
三ツ斗組手法を取り入れた
変形権現造りです。
拝殿屋根上の飛び狛ちゃん
境内脇に置かれていた先代の飛び狛さん
間近に見たのは初めてですが、想像していたよりも遙かに大きくて驚きました。
お疲れ様でした。
本殿覆い屋と、享保元年(1716)建立の流造本殿。彫刻の素晴らしい社殿でした。
境内社 境内社・後世神社
土佐の領主・長宗我部盛親公夫人の
遺骨をご神体とした珍しい神社です。
現在は目の守護神・顕節姫命
としてお祀りされています。
里人の心根の優しさが
感じられる逸話ですね。
  
博学狸金ぴら三本足松雲斎之祠(金刀比羅神社公式HPより抜粋)
 海のしずめの金刀比羅宮が鎮座する森の奥に、二本のヒノキの大樹があり、一匹の大狸が住んでいた。非常ないたずら狸で、里に出ては人間をたぶらかし悪事?を重ねていたが、金びら淵に出て通りかかる人間を待ちうけていた。ところが、その夜は通りかかった相手が悪かった。村でも指折りの鉄砲の名人、茂庄兵衛とは気がつかず、いつものように小石のつぶてを投げつけると、かねて、こうした機会をねらっていた茂庄兵衛は、鉄砲を肩にかついだ後ろ向きのまま引き金をひいた。さすがの古狸も、名人の手練にかかっては、さけるひまもなく、後ろ足をうちぬかれて、命からがら、がけをよじのぼって逃げて帰ったが、とうとう後ろ足は一本短くなり、びっこをひいて、三本の足で歩くようになった。以来、里人は金びらの三本足と呼ぶようになったという。
 その後も、社頭にあらわれては、参拝人をなやましていたが、ある夕刻、金刀比羅宮の神宮、森飛騨守丹平が、夕神楽を奏上しようと、神殿に登ると、白髪、白ぜん、狩衣姿の森丹平が、神前に威儀を正して座っている。
 おどろいたのは、あとから昇殿した森丹平。座をしめ「おのれは、何者じゃッ」と声をはげまして問いかけたが、間髪を入れず「わしは、森飛騨守丹平じゃ」とすましたもの。ぴたりと、その前に「おのれ、化けも化けたり。飛騨守丹平に化けるとはおこがましい。早々に退散せいッ」
「はッはッは。何をぬけぬけと。おこがましいのはそちらじゃ。神罰をうけぬうちに、退散せいッ」 堂々とやりかえして、たじろがぬ面だましい。これから二人の飛騨守が、世にもめずらしい狸問答をしたと伝えられているが、果たしてその内容が、森神官のあとに伝えられているかどうか?
 問えば答え、せまれば問いかけ、流水の弁をふるってシッポを出さぬ三本足を、じつと見すえた丹平は、やおら形を正した。ぐっと、右手に第(しゃく)をにぎりしめ「はははは、いかに上手に化けても畜生の浅ましさ。神の意志にはかなわぬと見えるわ−。これッ。その笏のもち方は何じゃ。手がちがうぞ」
 と大喝一声、きめこんだ。 とたんに、うまく虚をつかれたニセ神官は、向きあった神官の笏のありどころを見るなり、あわてて左手にもちかえ、とうとう馬脚ならぬ狸脚をあらわし、おそれいって化けの皮をぬいだ。
 悪事をすることが、知恵にたけ、人間でいえば、頭脳明晰の三本足は、今までの非をさとされて、さっぱりと素行を改め、それから後は、左手に笏をもち、神官姿であらわれては、金びらさまの神使いとして人を助けることに専念しはじめた。それとともに、毎夜、森丹平の屋敷に通い、軒下にうずくまって、丹平が村人に講じる学の道をおさめ、ついに一代の博学狸になった。自ら、松雲斎と号して、丹平神官が留守のときは、夕神楽だけを奏上して、立派に神前の奉仕をおこたらず、行ないすましている。(三田華子著「阿波狸列伝M通天の巻」より抜粋)
この森丹平と三本足松雲斎の問答が「子供神楽・博学狸金ぴら三本足狸問答」として、現代まで伝統行事として継承されているそうです。
 
境内社・八坂神社 境内のご神木
裏参道は、心が透き通るような
無心な気持ちになれる、
綺麗な薄緑色の清々しい
竹林の脇を通っています。
徒歩での参拝時に使用される、
裏参道入口
裏参道脇に咲く可憐な野の花、スミレ。