八幡神社

阿南市那賀川町古津(平成19年3月29日)

 この神社は、徳島から国道55号線・徳島南バイパスで南に向かい、27号線・阿南那賀川線を右折、2km程進むと左に鎮座しています。玉垣が無く、道路と境内の境界が分からないほど開放的な神社でしたが、入口には鳥居が三基、境内両脇には石灯籠が三基、そのすぐ後には狛犬が二対、ギュッと凝縮された感じで集められており、一寸異様な雰囲気でした。きっと近隣の神社を合祀したのだろうな〜…とは思いましたが、ここは阿波公方館にあった三社が合祀されたという由緒のある神社でした。
 関東に住んでいる私達には「阿波公方」さんは馴染みのない存在で、今まで全く知りませんでしたが、「阿波公方」の家系は、室町時代、政治の腐敗を嘆き淡路島で病死した第10代将軍、足利義植の養子・義冬が父の悲願を果たすため一旦は上洛しましたが戦いに敗れ、阿波の守護・細川持隆に迎えられこの地に落ち着き、その子孫は江戸時代に入るまで阿波公方として館をかまえていたのでした。その後は阿波藩主・蜂須賀氏が公方家の禄を百石内外に減じ、4代目足利義次を平島平八郎と称えさせ、公方の権威を引き下げる政策をとったのですが、8代公方義宜、9代公方義根など優れた才能をあらわした公方さんもいたようです。

神社全景 神社入口
初代阿波公方・足利義冬建立の石灯籠
明治3年生まれの狛犬。雰囲気は出雲丹後に似ていますが、
此方の方がずっとすっきりした感じがします。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治3年(1870)8月建立)
弘化4年(1847)生まれの狛犬。
正面から見ると、耳が広く長く垂れ、眉毛が横に真一文字に作られているせいでしょうか、
おかっぱ頭のように見え、座敷童子が笑ったり睨めっこをしているような、
そんな昔話を思い出させるような純朴な子達です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(弘化4年(1847)9月吉日建立)
社殿 社殿の屋根にいた鶴の彫刻
社殿内の様子
屋根の上にいた瓦材の飛び狛さん。
この子達は随分大きな顔で、飛ぶというよりも、
後ろ足を挙げているだけのように見えます。