八桙(やほこ)神社

阿南市長生町宮内 (平成25年1月6日)

東経134度37分08.73秒、北緯33度55分00.76秒に鎮座。

この神社は、阿南市役所の西4km程の辺り、宮内の北側にある小さな山なみの、南側山麓に鎮座しております。

式内社の八桙(やほこ)神社に祀られる神様は、大己貴神であり、古くより阿波民族の源の一翼を形成した長ノ国造の祖先神として尊崇されてきた神様です。
大己貴命と大黒主神は同一神であり、八千矛神・大穴牟遅神・葦原色許男神・宇都志国玉神など多くの名前を持った神様です。つまり、八桙は八千矛神で、出雲の主であり、長(おさ)である大国主神のことです。大国主神の別名、大己貴神は、長国の偉大な主を意味しています。
大国主神は、須佐之男命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名です。大国主神は、兄さん達から、大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けましたが、それらの試練を乗り越え、出雲国を治める立派な人となりました。
大国主神の子供に事代主神(えべっさん)と建御名方神がいます。事代主神は、式内社の事代主神社として当地から北方に山を越えた勝浦町沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、建御名方神は、式内社の多礽御奈刀弥神社として石井町浦庄字諏訪に祀られています。
平安時代に記録される三千百三十二座の式内社の中に、これら八桙神社や多礽御奈刀弥神社等の神社は、阿波にしかありません。
阿波古事記研究会

1. 八桙神社は上古長ノ国造の祖神として竹原庄要津に鎮座す長ノ国は北方粟の国と相対して阿波氏族の源を形成す
1. 承平四年朱雀天皇の御宇歌聖紀貫之土佐守の任満ちて上洛の途上南海水道にさしかかりし時豪勢なる海賊に出逢い航行不能となる。直ちに那賀川河口に碇泊西潟なる竹原庄の要津に松壖栢城高く聳へ立ち威光海上を圧する八桙 大明神に祈願奉幣す。忽ち「霊験早印下之泥」海上無恙上洛せりとあり
1. 長寛元年九月二十五日関白左大臣左大将正二位藤原基実卿、後白河上皇の勅令を承け法華八講料として免租、水田五段と紺紙金泥法華経一部八巻合せて五種十二巻を奉納しこの善根に依り後白河上皇二条帝の宝祚を寿命、長遠に併せて二品家一門の神徳冥助を乞い並に南海水道の海上安全を祈願す・・・・・・
境内由緒書き より

当神社は「古事記」にまつわる大国主命(オオクニヌシ)を祀った延喜式内社で、藤原期の作品と思われる大己貴命立像及び男神立像など、国・県指定の多くの文化財を所蔵している古社です。特に長寛元年(1163年)の日付が記された二品家政所下文は、徳島県に現存する最古の文書といわれています。周辺には八桙山古墳群があり、かつて八桙神社から津峯山へとつながる参道は桜街道として地域の人々で大いに賑わったと記録されています。別名也保古神社ともいわれ、現在も子どもの安全息災の神としても信仰を集めています。
阿南市観光協会 より

境内より500m程南に立つ一の鳥居と御旅所

神社遠景と社号標
二の鳥居と神額

参道

三の鳥居

太めの阿波型狛犬。拡大写真はこちら。
(天保9年(1838)戊戌8月17日建立)

拝殿

拝殿内部

一段高い所に建つ本殿


奥山神社

神戸神社 天神社
大将軍神社 山神社
石祠

社日