栃木市西方町真名子 (平成18年3月12日)
【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
この神社は、真名子小の近くにあります。200を数える石段がありますが、車でも登れます。明治42年の狛犬さんが迎えてくれました。
この神社は、真名子地域の中央辺りに聳える愛宕山上に祀られる氏神さまで、「おおみやさん」と呼ばれ親しまれています。
由緒によると、御祭神は大國主命、事代主命、田心姫命の三柱の神様で、創立は大同2年(807)で嘗ては真名子城主・岡本若狭守秀勝の崇敬社でした。特に江戸時代の領主本多大隈守からは祭祀料や掃除料を寄進され奉祀が持に厚かったのですが、明治維新の際上地とはなりませんでした。
社殿は天保13年(1842)の再建で、拝殿には平田篤胤の門人若林文章による小倉百人一首や花鳥図が描かれた華やかな物でしたが、明治38年、火災によりご神体を除き消失してしまいました。後、明治42年再建されました。
因みにここ西方町は、南北朝時代には宇都宮の領地で、その領主がこの地を宇都宮の西に位置するところから西方と称するようになったと伝えられ、また五代尊社、朝日長者、八百比丘尼等の伝説がある「おびくにさまの里」として知られています。