天満宮

栃木市藤岡町新波 (平成18年1月8日)

東経139度43分14.18秒、北緯36度16分3.2秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 藤岡乙女線を乙女方面に向かい、巴波橋を渡って左折、持福寺の隣にあります。狛犬さんは、二対です。拝殿に向かって手前左の狛犬の台座に、寛政の文字がかろうじて見えました。奥の狛犬は、大正10年です。
 不思議に思ったことが一つありました。手前の狛犬、右と左で傷み具合が著しく違います。どうして、こんなに差があるのでしょう。

 この神社は藤岡町新波地域の巴波川左岸に鎮座しています。
 由緒の案内板があるのですが、字が消えかかって良く読み取れません。 読み取れた部分だけで推測すると、室町時代の寛正2年(1461)京都からこの地、下野国壬生に来た人が、何処かから落ちてすぐには先に進めなくなりました。これは北野天満宮の御神意と託宣する人がいて、ここに天満宮をお祀りしました、ということなのでは無いかと解釈しました。

神社入り口

拝殿

拝殿前、2対の狛犬。仲が良さそうですね〜。
手前、阿吽が反対位置にいてその状態があまりにも違うので、熊さんが不思議に思った、寛政3年(1791)生まれの狛犬。まず、ここまで違うのは阿が地震など何かの事情でいったん台座から落ちたための損傷によるものと想われますが、それだけでなく石そのものの摩耗状態もかなり違います。あくまでも想像ですが、(1)阿吽の製作年代が違う、(2)今では考えられない境内の様子ですが、一方だけが常に日陰になり苔や雨風のあたりが強かった為、(3)何カ所かで見たのですが合祀した他の神社から持ってきた狛犬を組み合わせた、(4)阿吽で使用した石の強度自体が違っていた等でしょうか? 私は阿吽の尻尾がかなり異なるので(阿は小さな尾付き、吽は尾立ち)、江戸時代中後期に、吽の損傷が激くなったので、先代を模して吽だけ作り直したけれど、尻尾だけはその頃はやりの尾立ちにして製作したのではないか?と推測しています。
(寛政3年(1791)2月25日建立)
大正10年建立の江戸狛犬。
逞しく力強く、尚かつ優しげで、慈悲の込もった眼で参拝者を迎えてくれるように見えます。
(大正10年建立)

拝殿

拝殿の木鼻狛犬と象、挙鼻には龍の彫刻があります 道真公のお歌のようですが、私にはさっぱり…。
嗚呼、学生時代もっと古典を勉強しておけば良かった…
後悔先に立たず!!

本殿

境内社

境内の三角点