大前神社

栃木市藤岡町大前 (平成17年10月11日)

東経139度39分16.06秒、北緯36度16分22.56秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
この神社は、延喜式内社で、地元では「おおまえ」と呼んでいるそうです。最初に天保四年の狛犬さんが迎えてくれました。次に昭和63年、拝殿前は、昭和3年です。けっこう大きなお身体でした。本殿前には、平成3年がいらっしゃいます。本殿を見ることは出来ませんでした。

この神社は東武日光線・藤岡駅から東に出て9号線で北に向かい、渡良瀬川に架かった新開橋を渡りそのまま直進。蓮花川も渡り右手の鯉沼工業という会社の社地が切れたところで左折。線路を潜り300mほど先のバンビ幼稚園の対面に鎮座しています。沿革史によると創建は不詳で、式内社で旧郷社、古くは磯城宮と称していました。御祭神は於褒婀娜武知命(おおあなむちのみこと)配神は神日本磐余彦・彦火々出見命です。

延喜式内大前神社沿革史
鎮座地 栃木県下都賀郡藤岡町大字大前字磯城宮三八三番地
大前神社はその先磯城宮と号す
祭神 主祭神 於褒婀娜武知命
配神 神日本磐余彦 彦火火出命
社殿 本殿 幣殿 拝殿 神楽殿 社務所
手水舎 鳥居三基 狛犬三対 灯籠
祭日 祈年祭 二月二十四日 例祭 四月三日
新嘗祭 十一月二十四日 夏祭 七月二十四日
元旦祭 一月一日
由緒  当神社は創立時代は未詳であるが人皇六十代醍醐天皇勅撰を蒙り延喜五年八月式内社に列せられ延喜式内の稱号をたまわり下野国十一座の一社として神名帳に登載されている。
社伝によれば天慶二年(九九三)平将門の乱の際村中ことごとく兵火に焼かれ当社も焼失したが間もなく再建された。
而し室町時代再度の火災により社運が衰い祭祀を廃する事数百年であったと言ふ。
天正十九年(一五九一)徳川家康入府の際再建され 元和八年(一六二二)当地が古河領となり領主永井直勝は社地五反歩田四反七畝を寄進し永井氏佐倉に移封された後も武の神として近郷近在より崇敬されたといふ。
明治三年栃木県管轄となり近郷の総鎮守とされて明治五年十一月郷社に列格した。
現在の鎮座地は明治十二年四月移転されたもので旧社地跡は北方約四百m離れた台地であった旧社地跡の記念碑も土地改良によって北方約百mの畑地に移されてゐる。
下野国誌によれば「オオサキ」と稱しているが当社近郷では「オオマエ」とよんでゐ。
尚当社境内と近隣に九世紀と考えられる「タタラ」跡が三基確認され鎔工傍らに住みたる多くのも見られ字天国府字国造字城坊などの地名もあり古代よりの社歴を物語る。境内由緒書より。

神社入り口

顔が身体にめり込んだように一体化していて逞しいボディを持った狛犬。阿は眉毛のせいか好々爺、吽はしっかり者のその連れ合いという感じ。双方とも腰を軽く浮かし、社殿側の前脚を軽く引き、尻尾は葉脈の様な筋が入っています。お世辞にも『ウマイッ!!』とはいえませんが、ほのぼのとした味のある狛犬です。拡大写真はこちら。

(天保4年(1834)建立)

参道の一の明神鳥居

拝殿

この大口を開けて『笑う狛犬』は以前何処かで見たのですが思い出せません。77年間も笑いっぱなしで「顎がくたびれないの?」とお聞きしたいくらいの豪快な笑い顔をしています。吽も吹き出したいのをこらえて我慢しているという風情で、世の中皆がこういう生き方をしていればトラブルもなく楽しく過ごせることでしょう。

(昭和3年(1928)建立)

本殿覆い屋

多数の末社