神明宮

佐野市飯田町(平成17年11月16日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
弘化2年の狛犬が迎えてくれます。吽形は顔が大分傷んでいました。神楽も盛んだったようで、立派な神楽殿があります。拝殿にも神楽の額がいくつか飾ってありました。狛犬の裏側に、「境河岸、小松原」という文字が見えます。調べてみると、茨城県猿島郡境町に境河岸がありました。河岸問屋の小松原家もあります。もしかすると、つながりが有って奉納したのかもしれません。

【狛犬情報・ネモさんより】                     (平成20年8月12日)
 子供の頃から遺跡・神社が好きでよく出掛けていました。その出掛けていた神社が載っていて懐かしく見たりしています。
 その中で一つ気になる点が
 栃木県佐野市飯田町にある神明宮での 「奉納 境河岸 小松原」の表記の一文ですが、確かに茨城県境町も一理ありだと思うのですが、神明宮の南側を流れる旧秋山川を少し下った隣町内馬門越名町には関東三大河岸の越名河岸がありました。越名河岸のある村の名前が界村で境と表記した人もいたといいます。なのでむしろ越名河岸の方が近いのかな?って地元界村出身の私的には思うのです。

というメールを戴きました。
 クマちゃん説では、佐野市を流れる旧秋山川は渡良瀬川の支流で、渡良瀬川はやがて利根川と合流して茨城県の境町に辿り着き、大きな河岸問屋もあり何らかのつながりがあったのかも…、
 ネモさん説は、神明宮の南側を流れる旧秋山川を少し下った隣町内馬門越名町の村の名前が界村(境村)で越名河岸があったので、地理的関係からもこちらの方が関係が深いのでは…?
 というものですが、狛犬奉納は水運業が盛んだった江戸末期の事で、地理的条件から言うと界村(境村)の方が妥当かとも思われますが、どちらも有りかな〜、という感じで、断定は出来ない様に思われます。
 でも私としては、ともすれば低く見られがちな狛犬の、それも奉納者についてこれほど真剣に考えてくださる方がいる…という事自体がとても嬉しく、感激しています。
ネモさん、メールありがとうございました。

 この神社は東北自動車道・佐野藤岡ICの南西約2.9km、飯田町に鎮座しています。
 創建、由緒は分かりませんが、御祭神は天照皇大神です。ここには熊さんが感じたように、大和流渋井派に連なる神楽が伝承され、明治時代には村上星宮神社にも継承されていったようです。

社号標 拝殿
太々神楽の額 神明造り本殿
神楽殿 境内社、末社
石がもろいせいでしょうか?置かれた環境が過酷だったのでしょうか?
建立されてから未だ160年位しか経っていない割には劣化が進んでいます。
ボリューム感のある毛の流れの美しい狛犬なので勿体ない気がします。
正面から
背後から
(弘化乙已2年(1845)8月建立)