小藤神社

佐野市中町(平成18年2月6日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 この神社は、旧葛生町の中地区にあります。中運動公園の近くです。石段の途中のこの神社は灯籠は、彫ってある文字もはっきりしていたので、新しいものと思いましたが、意外と古く享保19年でした。狛犬さんは、寛保元年ですから、これもかなり古いと思います。お顔が傷んでいますが、他は比較的良好な状態でした。下の台座が平成2年に新築されています。

この神社に関して、次のような民話が伝わっています。
 400年も前のある夜、武士が藤坂峠にさしかかると、赤児の鳴き声がします。よく見るとそれは大きな玉石から声がしているのです。抱きあげると泣きやみ、置くとまた泣く。困った武士は、この石をご神体として「小藤神社」をお祀りしました。後にこの神社は夜泣きが治ると評判になり、正一位小藤大明神の称号が贈られ、大切に守られています。
(葛生町ガイドマップより)

 この神社は東武佐野線・葛生駅の南約1.2km、中運動公園傍に鎮座しています。
 主祭神は小富士大明神天児屋根命、配神は木花咲耶姫命です。栃木県神社庁によると、第68代後一条天皇の御代に当地の守護神数社を今宮神社に合併し、小富士大明神を創建。後に小藤神社と改称しました。
 当地総鎮守となる夜泣石については、今より400年前、藤坂興三氏が藤坂峠付近にて発見。不思議にも夜青白く光を放ち、赤子の泣声を発せられた径1尺長8寸位玉石にして、これこそ大事な石と小藤神社に奉遷、御神体となりました。当時赤子の夜泣に霊験あらたかと、近郷より祈祷多きと言はれ、崇敬篤く明治5年指定村社に列せられ、当地の総鎮守となりました。

神社入り口 享保19年奉納の灯籠
拝殿 本殿
寛保元年(1741)生まれの小顔で筋骨逞しい狛犬。
残念なことに、阿の下顎と吽の右頬がかけています。
身体の瘤や鬣の流れなどは綺麗に残っているので、台座から落ちたことがあったのでしょうか?
尻尾は完全に天狗の団扇の様になっています。
眉毛が目立たず、頭上がツルツルしているので何となく武田信玄を思い出してしまいました。
(寛保元年(1741)11月建立)
多数の境内社