佐野市堀米町(平成17年6月25日)
この神社は佐野駅の北北東約1.4kmの里山に鎮座する郷社です。由緒によると平将門の乱を平定し、下野守に任じられた藤原秀郷が、山城の国の男山八幡宮を勧進したと伝えられます。秀郷の子孫である佐野氏が鬼門封じの神社として崇敬しましたが、江戸時代に佐野氏が改易となった為、犬伏の住民守護の郷社となりました。日光例幣使街道沿いの参道入り口から境内まではおよそ600mもあり、往時の社地の大きさを偲ばせます。その参道周辺も、入り口の鳥居や灯篭、狛犬が居るほんの少しの区域を除いては、住宅地となり一般道となっています。
(嘉永2年(1849)8月15日建立)
日光例幣使街道沿いの参道入り口と一の鳥居
参道の入り口に寂しく取り残された江戸期の狛犬。
頭に大きな穴があり、昔は祭礼の時などお灯明を燈していたのでしょうか?
境内への階段と二の明神鳥居。
かなり登りでが有ります。
境内途中の平地と、最後の階段への入り口に建つ三の明神鳥居
くぐり舞屋
拝殿、この日はペンキ塗りたて
本殿のお化粧も今しがた終わったばかり
境内社