道了宮

佐野市戸奈良町(平成17年11月19日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
この神社は、種徳院というお寺の中にあります。本堂の横から階段を登っていった所です。拝殿にあったのは、鈴でなくて鰐口でした。狛犬さんは居ました。裏に天明と見えたので「ああ、天明時代か」と思って帰って来ましたが、改めて見ると、天明の後の文字が年を表す文字と違っています。佐野には、昔から天明町というのがありました。どうもそちらのようです。
芭蕉の句碑がそばにありました。「鐘つかぬ さとは何をか 春の暮」というのだそうですが、私にはとても読めません。それと、種徳院本堂前には、推定樹齢300年のシダレザクラが2本あります。

この神社は旧田沼町の戸奈良・西原バス停の北、種徳院内に鎮座しています。種徳院は室町時代(1438)、唐沢城主夫人の徳子が、夫 佐野越前守彌太郎師綱の武運長久と、人の心の安定を願い創建した、曹洞宗のお寺です。このお寺では156枚の天井絵雲龍花鳥図と、推定樹齢300年と言われている境内のしだれ桜、『奥の細道』旅の途中で、曾良が書き留めた芭蕉の句「鐘撞かぬ里は何をか春の暮」の句が有名です。道了宮はこの種徳院の鎮護神社として創建されたと考えられますが、御祭神・道了尊は神奈川県南足柄市大雄山最乗寺という曹洞宗のお寺において、500人力の弟子「道了」が天狗の姿で寺を守ったという言い伝えから修験者の間に絶大な崇敬を受け、所願成就の大薩捶として民間信仰の対象となっていったようです。

拝殿 拝殿の額と鰐口
江戸尾立狛犬です。多分江戸中期から後期にかけての建立と思われます。
阿の尻尾の先が欠けていますが、瘤も残っており、力強くドッシリと落ち着いた感じがします。
本殿覆い屋 覆い屋の中の本殿
境内社 『奥の細道』旅の途中で、
曾良が書き留めた芭蕉の句
「鐘撞かぬ里は何をか春の暮」の句碑
種徳院本堂