与作稲荷神社

さくら市上阿久津 (平成16年8月7日)

東経139度57分44.46秒、北緯36度39分4.99秒に鎮座。

この神社は、125号線が、鬼怒川に架かる阿久津大橋の東500m程の辺りに鎮座しております。広い境内と大きな社殿の落ち着いた神社です。

遠い昔には、勝山の城地の一隅にまつられてあったといわれる。いつの頃か洪水により稲荷神社の小祠は流され、三本杉の根本に留まり、そこにしばらくまつられてあった。嘉永3年上阿久津と下ヶ橋村との間に地域論争が起きたが、これを契機として、故あって東円寺裏に御神体をまつったという。村人や奥州街道を旅する者、鬼怒川に船を操る船人たちがこの稲荷に詣でるようになると、様々な霊験が現れ、奇瑞が起こったといわれ、爆発的な稲荷信仰が起きた。寺の裏の片隅にあった小社には、信者の奉加によって本殿や拝殿と社地が造営され、たくさんの鳥居が奉納された。門前には稲荷町ができて、参拝者の飲食遊興の場となった。しかし河岸の衰退とともに、霊験談も消え、境内のにぎわいも遠い昔の物語となってしまった。
境内由緒書より。原文はこちら。

三本杉とキツネ
 三本杉のかたわらには、与作稲荷が祀(まつ)られ杉の大木の根元にはウロがあり、そこにキツネの親子が住んでおり、日が暮れると白沢宿に出没しては、通行人をだますという噂がありました。
 ある夜、参勤交代の途中の殿様が、ここの本陣にお泊りになりました。殿様は退屈のあまり、おしのびで宿場の料理屋へお酒を飲みに出かけました。あまりの接待に時のたつのも忘れ、夜更(ふ)けに一人本陣に帰りました。
 殿様は、寝ないで待っていた侍たちに、機転をきかして「三本杉のキツネにだまされ、遅くなってのう」と申されました。侍たちはうそと知りながらも、「御意」と申しました。
 その後、殿様が参勤交代で白沢宿の本陣に泊まると、お供の侍たちは、夜になると宿場に出かけ遊ぶようになりました。そして、どんなに遅くまで遊んで帰っても「三本杉のキツネにだまされ、遅くなりました」と申し上げると、殿様はおとがめになりませんでした。現在は道筋も変わり、三本杉は枯れてありませんが、地名として残っています。
河内ふるさと探訪より。

鳥居

社殿

優しそうな美形のお狐さまです。拡大写真はこちら。

(明治12年(1879)10月建立)

こちらの方が新しいのだが阿の両手が無くなっています。

(大正12年(1923)2月建立)