安房神社

小山市粟宮(平成18年8月18日)

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
 神社は、国道4号線を北上、粟宮信号の手前を左に入ったところにあります。狛犬は、拝殿前に、昭和12年、文政11年、本殿前は、年代不明が居ります。文政の狛犬は、阿と吽の感じが大分違うと思いました。台座は、確かに同じ年号なのですが。本殿前のものには、台座に何か書いてあるのですが、読めないですね―。

 この神社は延喜式内社で、延喜式には「阿房神社」と書かれ、神仏混淆の時代には「粟宮明神」と呼ばれ、明治以降に現在の「安房神社」と改称されました。
 由緒書きには、『崇神天皇の御代(前97〜前30)に創建され、仁徳天皇の御代(373〜399)に再建された。天慶2年(939)、平将門下総猿島に拠って叛するや、俵藤太秀郷(藤原秀郷)が戦勝を祈願し、御宝前に汁器、供田を寄進して永世守護神と尊敬した。その後は小山氏の崇敬を受け小山一帯の総氏神とされている。因みに神社の所在地は粟宮といい粟の産地でもある。明治10年郷社に列せられ、大正2年拝殿を改築、昭和25年神楽殿新築、昭和35年拝殿銅葺にする。主祭神は天太玉命、菟道稚郎子命。 境内社は 雷電神社、稲荷神社、道祖神社、厳島神社、琴平神社、天満宮、浅間神社、愛宕神社、日吉神社、十二所神社、山神社』とあります。
 毎年11月21日の例大祭では、市の無形民俗文化財に指定されている「アワガラ神輿」が担がれます。これはアワの穂を飾り、神輿全体を紅白の「粟むすび」と呼ばれるひもで独特の飾り付けを施した神輿が、獅子舞とともに氏子地域を巡行後、境内や参道を練り歩く行事で、この例大祭のハイライトです。この習俗は、安房神社の御祭神である天太玉命を祖神とする忌部一族が、粟を携えて徳島阿波から全国にその勢力を拡大し、千葉の安房へも移り住み、その後利根川を遡りこの地にも移動してきたと考えられる事に起因しているそうです。又、立派な神楽殿がありますが、大晦日の夜から1月1日にかけての「元朝祭・元旦祭」、4月3日の「大杉神社祭」には市無形民俗文化財に指定されている大々神楽舞が奉納されています。

神社入口と社号標 神楽殿
神庫の裏、社殿横の多数の末社
二の両部鳥居 境内入口
昭和12年生まれの阿は子取、吽は玉取の、細面の狛犬。
耳を横に伏せ、口蓋はあるがストレート、顔横の鬣の渦は立体的で
、短い顎髭を生やし、女性的な体つきで片手をあげています。
尾は装飾的で、立てたり渦を巻かせたり流したり複雑です。
(昭和12年建立)
確かに台座には阿吽共に同一人が「文政11年(1828)仲冬建立」を書き記しています。
が、熊さんの感じたように、阿吽の姿態が余りにも違い過ぎる様に思えます。
私も二人の石工さんが片方ずつ製作したか、台座はそのままに片方だけ作り直したのではないか
と思いました。拡大写真を載せますので、そちらでじっくりご覧下さい。
(文政11年(1828)仲冬建立)
拝殿 拝殿の沢山の額
挙鼻には菊の花と踊る人?
拝殿の木鼻には菊の植物鼻と牛?鼻 本殿覆い屋
本殿前、年代不明の江戸狛犬。
とは云ってもこの造りは、古くても江戸後期以降の建立ではないでしょうか。
精悍で整ったいい顔をしています。
本殿正面 本殿側面、脇障子の
鳥と花の見事な彫刻
神庫と境内社二社
由緒と狛犬の拡大写真はこちらで