日枝神社

日光市野口 (平成21年9月9日)

東経139度38分49.2秒、北緯36度43分53.72秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、国道119号線を日光方面に向かい、野口信号を過ぎて間も無くを左折、野口小の脇を通って、坂を登った所にあります。狛犬は居ませんでした。県指定文化財の本殿は、覆い屋の前方が開いているので見ることが出来ます。本殿裏には仏様の石像がありました。

日枝神社拝殿新造記念之碑
抑、当社は、今を去る千百余年前、嘉祥元年(848)七月五日、慈覚大師円仁が下野の守護神として此の地、野口平岡に山王権現を祀るに始まる。中世、当社は、近郷七ヶ村の総鎮守として、神威あまねく奉仕の僧坊二十余が立並び遠近の氏子相集って繁栄を極めたが、戦国の世、豊臣、北条両氏の騒乱に際し、当社は、僧坊ともども悉く灰燼に帰したと伝えられる。正徳年中、氏子挙って現社殿を奉斎し以後今日に及んだ。偶、昭和四十九年日光宇都宮道路の開設によりその補償金の一部を基金として氏子一同浄財を寄せ、ここに境内の整備を行い拝殿を新築したのでこれを識して記念とする。
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円仁はここ下野国岩船の生まれと言われており(壬生町と言う説もあるようです)、東北、北海道にもその足跡を残している位ですから、故郷のこの地に円仁の開山による天台の寺院があっても何ら不思議ではありません。しかし円仁の帰国は承和14年。嘉祥元年と同じ848年。チョット早すぎる気がします。伝説なのでしょうか。現在地図をみるかぎり寺院は無く、恐らく明治の初め、本殿裏に石仏を残し、廃寺となったと思われます。

栃木県指定有形文化財
日枝神社本殿
日枝神社(旧称生岡山王社)は、嘉祥元年(848)慈覚大師の建立と伝えられる。江戸時代には、日光山王七社の一つに数えられ又、近郷八ヶ村(野口・所野・和泉・瀬尾・瀬川・小百・平ヶ崎・吉沢)の総鎮守とも称された古社である。
現在の社殿は一間社流造で、棟札から貞享元年(1684)の建造とある。外部の塗装や飾金具は後世の修理をうけてあり、又屋根は元来茅葺であったものを近年改修したものである。向拝の挙鼻、蟇股の彫刻などに江戸時代の特徴がよく現れている。規模は小さいが、日光の古社にふさわしい社殿である。
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東参道入り口と参道

拝殿

本殿覆屋

文化財の本殿

境内の末社

僅かに寺院の名残を留める石仏