磐裂(いわさく)神社

日光市足尾町遠下3-1 (令和5年11月13日)

東経139度25分57.68秒、北緯36度37分32.48秒に鎮座。

この神社は、わたらせ渓谷鐵道・通洞駅の南西1.2km程の辺り、足尾町遠下の街外れに鎮座しております。

御祭神 磐裂命・根裂命

由緒
当神社は、上古妙見天童と称し中古妙見大菩薩と称し近古妙見宮と称せしも、明治四年七月四日付太政官布告の郷社定則の時、磐裂神社と改称せり。
往古、足尾郷民の祖日光中禅寺より足尾の土地に移住し土着せるものにして中禅寺の鎮守にして己等の氏神、妙見天童を一族の内、神山文左エ門、齋藤孫兵衛の両祖、交互に霊代を背負い奉り来りて遠下の地をとして鎮座せしめて足尾の鎮守となせり。
天安二年八月、御祭神を磐裂命、根裂命の二柱として境内坪数千九百七十三坪と定め社殿を造営して名実共に鎮守となせり。
往昔、足尾郷は中禅寺領なりしも徳川幕府日光に廟を建てるに及び日光領となり一切の支配を受ける。 明暦元年、日光寺社奉行荒井孫兵衛尉秀元、崇敬の年篤く釣鐘一箇を寄進して栄代不朽の重器となせり。 明治十四年、幣帛共進神饌料進の指定社となる。
明治四十四年三月二十日許可を得て、村社磐裂神社及び境内社五社を前遠下の地より現在の地に移轉せるものなり。
栃木県神社庁公式サイト より。

「足尾5氏」と言われる一族14人が日光から移住してきた時妙見宮の分身を拝受し、大同3年(808)に足尾郷14ケ村の鎮守と定めた。文化文政の頃庚申山信仰が盛んになり登拝口として講中寄進の庚申山碑や一丁目標が建てられた。神社は大正3年(1914)現在地に移った。境内に栃木県名木百選の大桧(神木)がある。
境内由緒書き より。

一の鳥居と社号標「足尾鎮守磐裂神社入口」

参道を横切るわたらせ渓谷鐵道

二の鳥居

参道左右の狛犬

拝殿

拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。

(年代不明)

神額

拝殿内部

本殿


末社

石祠

御神木の桧